芸術の価値

 

 いずこより子ら弾ませて春の風

近所の小学六年生のひかりちゃんが
百人一首のサークルに所属しており、
昨日は、わたしが読み手となり、
ひかりちゃん対その他数名で百人一首の
散らし取りを行いました。
ひかりちゃんは、
上の句を読んだだけでパーンと
払い手で札を取っていきます。見事なものです。
わたしは読みながら、いくつか、
いいなあと思う歌に出くわしました。
ひかりちゃんが興味を持ち、サークルに入らなければ、
百人一首の歌をあらためて味わうことは
なかったかもしれません。
夜、布団に入ってテレビを点けたら、
(このごろ、これが癖になっています)
詩人・評論家の吉本隆明さんが出ており、
芸術の価値についての講演の模様が映し出されていました。
実は、わたしはこれを一度見ています。
吉本さんは、壇上で車椅子に座って話しているのですが、
会場に集まった人に話すというよりは、
ななめ上方に向かい、そこにいる誰かに語りかけるように、
あるいは、
そこにあるものを言葉で写しとるように話します。
吉本さんは、
千年、二千年で人間は変るかといえば、
変らないだろうとおっしゃった。
むしろ、いろいろなものにわずらわされない分、
ストレート(という言葉は使われなかったが)な表現が
可能なのではないか。
沈黙に近い自己表出としての言葉…。
そういうふうに芸術というものをとらえたい。
芸術というのは、本来、無価値なものである。
それが逆に芸術の価値であるとも言える、云々。
たまたま再見した番組であったけれど、
百人一首の歌を声に出して読み、
千年以上も前の人が作った歌を
いいなあと思ったすぐ後でしたから、
吉本さんの言葉が、なるほどと腑に落ちました。
ひかりちゃん、ありがとう。

 御殿山春を被りて午睡かな

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