秘伝とや枝豆細毛光りをり
偽装に継ぐ偽装、毒入り餃子、毒入り米、毒入りミルクと世間を賑わし、だんだん麻痺して、またかという感じで、あまり驚かなくなってしまった。こうなっては、昔に戻って自給自足しかない。学校でも、毒入り給食を子供たちに食べさせないで、鍬の使い方でも教えればいいのだ。我が社の編集長ナイトウは、大手広告代理店を辞し、群馬で無農薬の農業を始めた方から毎月野菜を届けてもらい、それでも足りずにこのごろは、味噌まで自前で作っている。わたしは、米は農水省の下請け的業者である三笠フーズから仕入れずに秋田の父から送ってもらっている。これからは、生存に必要な衣食住はすべて自給自足することにより自分と家族を守っていくしかないようだ。
枝豆や莢飛び出して留まりぬ
秋の蚊や腕にひょんひょん中華そば
夕食後、背もたれのない椅子に座ろうとしたら、後ろにでんぐり返り、額の右側を机の角にしこたまぶつけてしまいました。後ろにひっくり返ったのに、後頭部ではなく、額というのは不思議です。咄嗟に体を捻じ曲げたのかもしれません。
後ろにひっくり返っていく瞬間の、宙に浮いたようなあの真空状態を、子どもの頃から何度か体験してきたように思います。
カッターを滑らし、右手人差し指の付け根を深く切ったときも、前の会社で鴨居に頭をぶつけ救急車で運ばれたときも、三年前に鎖骨を折ったときも、怪我をする瞬間の息を呑むような真空状態で、わたしは、何か他のちからによって助けられました。
ご先祖さまか、お天道様か、はたまたもっとほかのなにかか…。とにかく、わたしは自分を守ることさえ容易にできません。ありがたいことです。
写生会絵筆転がし棗の実
微かに動くことを微動といいますが、気功では、これがとても大事です。足腰やお尻を動かさずに背骨を微かに揺らす。最初はなかなか上手くできません。600日、毎日続けていたら、このごろやっと一節一節動かす感覚が少しつかめてきたように思います。緊張すると、手や唇がプルプル震えたりしますが、あれとは違います。
きりたんぽラーメン二杯焼きむすび
ここ半年ぐらい、いいなぁいいなぁ、おれもほしいなぁと思っているものがあります。それは、ゴム長靴。
雨の日、数年前から、女性がかわいいオシャレなゴム長靴を履いているのを目にするようになりました。雨の日、何が嫌といって、靴に雨が染みこんできて、靴下まで濡れることほど嫌なものはありません。
子どもの頃は、ゴム長靴を履いてバシャバシャやったものでした。バシャバシャやって、顔にドロをひっかぶっても、ゴム長靴の足は元気そのものでした。
雨の日の男性用ゴム長靴、需要はきっとあります。いずれどこかが目をつけて、作ってくれるとは思いますが、待ち遠しい日々がしばらく続きそうです。
ひかりなの秋や正座でメンマ割く
階段を上りきり闇の蟋蟀
大学時代の友人と再会し旧交をあたためた。話しぶりがまったく変わらず、愉快になる。歳のことは、お互いにあまり触れない。しても仕方のないこと。
大学1年生の時、わたしは仙台市の八木山というところに住んでいた。途中、八木山橋があり、深い渓谷になっていて、自殺者が後を絶たなかった。
先日、社員旅行で仙台・松島に行った折に、久しぶりに訪れて見たが、有刺鉄線ではなく下から上まで真っ直ぐに伸びた四角い鉄材に変わっていた。最上部は〔 〕のように内側に折れ曲がっている。人が上れないようにとの苦肉の策なのだろう。
三十年前、友人は、あの八木山橋を通って、自転車でわたしのアパートまでやってきたのだった。あの渓谷の誘いを振り切りペダルを漕いで来た。秋刀魚を焼いて二人で食べた。
昔手で今は機械で稲を刈る
金融不安が叫ばれる中、秋田の実家の米は、近来稀に見る豊作だったようです。
どれくらいかというと、今年、一反歩の減反をしたにもかかわらず、一町三反歩の総収穫量が昨年の一町四反歩の総収穫量よりも多かったのだとか。
銀行に勤める友人に、冗談半分に、こんな世の中では一から出直しで、父に習って米を作るしかないなと言ったところ、笑い飛ばされるかと思いきや、珍しく押し黙り、「そうね」と言ったのには驚いた。
父の背の広きに語る秋の風
足八本網にかかれり秋の風
テレビを見なくても、今はケータイで天気がわかります。新しい機種に変更した時、横浜の天気が分かるように設定したので、とても便利。しかし、ケータイの天気予報よりも分かりやすいのが、自分の体による予報です。
気功を続けているにもかかわらず、なんだか肩や首が凝るな〜と思っていると、案の定天気が崩れだし、あれっ、凝りがほぐれたぞ、と愉快になると、天気も晴れます。こうなると、天気によって体調が変化するのか、わたしの体調によって天気が変化するのか(んなわけないか)分からなくなってきます。
今日は晴れ。なんとも気持ちいいです。
豊作と父の電話の弾みたり