神気通

 砂時計仕事終れり月夜かな
 先日のフォーラムで聞いた話。
 ある大学で、これからe‐educationと称し、インターネットとパソコンを使って教育を行い、実際に大学に出てくるのは年に数回で済むような構想が持ち上がっているという。
 パソコン画面に外国人の顔が登場し、マンツーマンで語学を習得するシステムがテレビCMで流れていたが、あれも教育という営みの一部ではあるかもしれないけれど、教育本来の営みとは似て非なるものだろう。
 大学関係者が、あんな形を模倣したがるとすれば、あまりに教育に対する哲学が無さ過ぎる。
 教育というのは、誰がなんと言ったって、時代がいかに変わろうと、生身の人と人がこころを通わし、たましいのひびき合いがあってこそ成り立つ営みだろう。知識の習得ばかりが教育ではない。
 神気通ということばを先日知った。生身の人どうしが触れ合うことで神気が通じなければ、教育とは呼べない。

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