座る訓練

 瞑想会眠気邪念の卯月かな
 この26日から昨日29日までの4日間、日本禅密気功研究所江戸川本部にて行われた瞑想会に参加してきました。
 午前10時から午後5時半まで、昼1時間半の休憩時間をはさみ、ひたすら座りつづけ。
 ただ座ることが肉体的にも精神的にも、こんなにつらいものだとは思いませんでした。
 ふつう、座るというのは目的ではありません。座って本を読むとか、食べるとか、話を聞くとか、テレビを見るとか、何かをするために座るのですね。
 ところが、何の目的もなく(まあ、瞑想が目的といえば目的ですが、この瞑想自体がよく分かりませんからね)座るために座る、とでも言いましょうか、こうなると、ほんとに目をつむった瞬間、意識はふらふらさまよい始めます。まさに邪念、雑念の嵐! むかし中国では雑念を野の猿や馬に譬えたそうですが、ほんとに頭の中で競争をしているようです。おいおいおい…。困りました。
 朱剛先生の「吐く息に合わせて気を下腹部に流」すことを思うのですが、それがなかなか、思うようには行きません。
 初日の1時間が終わった時、これで4日も持つのかいなと不安になりましたが、終わってみると、何でもそうだと思いますが、あっけなく、爽快感と達成感だけが残りました。
 ただ座るだけなのに、全身の筋肉がバランスよくとれていなければ、あちこち痛み出します。痛み出してきたら、とても瞑想どころではありません。また雑念、邪念は仕方ないとしても、それをやり過ごすくらいの心的状態になっていないと、できないことかもわかりません。
 座ることがこんなにも積極的な行為だとは思いもしませんでした。澤木興道さんの座禅の本も読みかえしてみたくなりました。
 気功をはじめて450日が過ぎましたが、日々続けていたおかげで、この4日間をなんとか乗り越えられたのかなと思います。
 それと、思いますのこの「思い」、なんなんでしょうね。毎日繰り返している「思う」こと、これについても考えさせられました。

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