本の実験場

 春の夢中身を忘れ気分のみ
 三月は小社始まって以来の刊行点数で、昨日最終の見本が到着し、めでたく10点完了しました。どれもすばらしい出来(自分で言っちゃう!)です。
 本は、形あるものです。形にまで収斂させるというのは並大抵ではありません。情報というのは形がありません。人に姿形があるように、形になってこその本だということを、出来てきた本を見、触りながら、あらためて感じました。
 今回も装丁を多く手がけてくれた多聞君は、1冊1冊中身に相応しい工夫を凝らしてくれました。不思議なことですが、そのことで多聞君がデザインしたということがわからなくなってきたという具合です。すばらしいと思います。
 先日小社まで本を買いに来てくれた女性は、『魂のかけら』(これも多聞君が装丁してくれました)をいつもバッグに入れて持ち歩いているとのことでした。中身ももちろんすばらしいけれど、装丁もすばらしい…。白い鳩のところから強い気が感じられる。こんな装丁は見たことがない。装丁家の魂と相俟って、この本が出来たのでしょうね…。
 形ある物づくり、本の実験場であることを忘れてはいけないと、肝に銘じました。
 西田幾多郎のお孫さんで、教育哲学者の上田薫先生の『沈まざる未来を』も完成しました。
 今日は、その本を先生に届けに行きます。
 春寒や冬物片付け早かりし

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