デジカメプリント

 

 過剰にて本棚あさる五月かな

きのうの帰りがけ、
横浜駅西口にあるヨドバシカメラに寄って、
初めてデジカメプリントを体験しました。
機械にはとんと弱いほうなので、
見栄を張らず、
「初めてなもので、教えていただけますか?」と、
係りの人に頼みました。
メモリーカードをセットするところから、
親切にゆっくり教えてくれました。
やってみると、そんなに難しくありません。
ひととおりの説明を受けてから、
あとは自分でいろいろ試してみました。
次からは、一人でもできそうです。
さて、先日のスポーツフェスティバルですが、
近所のりなちゃんが、
三年生の児童代表であいさつをしました。
それをわたしは、かなり近づいて撮影しました。
デジカメプリントがいいのは、
トリミングやズーム、色補正が簡単にできること。
面白くて、
つい、時の経つのを忘れてしまいます。
写真の中のりなちゃんは、
少し緊張しているようですが、
とても晴れやかで、大きく見えます。
初めて会ったのは、
りなちゃんが幼稚園のときでしたから、
その頃のことを思えば、隔世の感があります。
人の気持ちは流れる川のごとく
一瞬もとどまることはありませんから、
推し量るのは難しいわけですが、
写真に写った表情から、
その時のいろいろな気持ちが一つになって見えてくるようで、
うれしくなりました。

 六月に入り晴天つづきをり

100408_1003~0001

秋田の魅力

 

 スポフェスにエビチリ持参の五月かな

日本を代表する写真家で、
1974年5月31日に亡くなった木村伊兵衛は、
1952年6月から1971年2月までの20年間に、
通算21回、秋田を訪れたそうです。
最初はそんなに足しげく通うつもりはなかったと、
何かに書いてあったのを、どこかで読んだ気がします。
また、わたしの友人で、
現在ヨーロッパで活躍している音楽家のSATOSHI REIさんは、
宝塚出身ですが、学生時代多いときは、
年に七、八回も秋田を訪れたと聞いています。
REIさんに、かつて、
「秋田のどこが、そんなにいいの?
特に何があるわけではないでしょう?」と訊いたことがありました。
その時REIさんの言った言葉が忘れられません。
「何もないところがいい」
わたしの質問に困ったのかもしれません。
REIさんが秋田の印象からインスピレーションを得てつくった
曲に「水の向こうに」があります。傑作です。
聴くたびに、なんというか、血が騒ぎます。
もちろん秋田には、
観光地だって、美味しい食べ物だって、人情だって、
自慢できるものが、いろいろあります。
わがふるさと井川町には、「自慢こハウス」という
土地の産物の直売所もあります。
人とおカネを引き寄せるためには、
みんなで知恵を出し合い、方策を考えなければなりませんが、
「あるものの魅力」の根底に、
「ないものの魅力」が横たわっているような気がします。
そういうことを感じ、考えたのは、
今年のゴールデンウィークに、
横浜で親しくしているご家族の車に乗せてもらい、
秋田に行ったことがきっかけでした。
小3と中1の女子は、
奥山の谷から湧き出る清水を手で掬って飲み、
山菜を採りに山へ入り、
川でアブラハヤを釣り、
鶏小屋で卵をとり、それはそれは楽しそうでした。
秋田に住みたいとも言い、別れ際に涙ぐむ子どもの姿に、
涙もろいわたしの父は、もらい泣きをしていました。
印象的だったのは、
子どもたちが、家の周りをぐるぐる散歩し、
小高い丘から朝靄にけむる奥の山々をジッと眺めていた姿。
木村伊兵衛や、友人のREIさんを惹きつけた秋田の秘密を、
垣間見た気がしました。
軽々に言うことは控えなければなりませんが、
芸術家と子どもの魂を震わせるものが、
秋田にはありそうです。

 スポフェスやデジカメ多し子等よりも

090504_0938~0001

休日の仕事

 

 壇上の児童まぶしき春祭り

どうしても進めておきたい仕事があり、
日曜日のきのう、九時前に出社しました。
会社には誰もいません。
この頃とっている地元の秋田魁新報を読んでから、
パソコン画面をにらみ、
インタビュー記事を直していきます。
進むこと進むこと!
昼までに、だいぶ捗りました。
部屋に鍵をかけ、ビルの外へ出て伸びをし、
それからいそいそと太宗庵へ。
「ちわー」と入ると、
入口近くに初老のお客さんが一人。
女将さんが、「あら、どうしたの?」と訊きますから、
「女将さんに会いたくてさ」など言い、
いつもの座敷に上がりこもうとしたら、
厨房から大将が、
「お、どうしたの? 日曜日だっていうのに?」と言うので、
「大将に会いたくってさ」と答えましたら、
お茶を運んできてくれた女将さんが、
それを聞きつけ、
「あら、そういうことね」と、
少々ご機嫌ななめな笑顔を見せてくれましたから、
「二枚舌はいけませんね」と申し上げると、
女将さん、首をコクンとまた笑顔。
こんな会話を楽しめるのも、
仕事が捗ったればこそのことで、
わたしは、いつものせいろ蕎麦とカレーうどんを頼みました。
ここに来ると、
どうしても蕎麦とうどんを一緒に食べたくなります。
お客さんで、お店がだんだん混雑してきました。
やがて、中年女性三人が座敷に上がりこんできて、
ぼくを取り囲むようにして座り、
一つしかない座敷のこととて、窮屈で、
身を縮めて食していましたら、
左頬の内側を噛んでしまい、
こんちくしょー! と自らを責め、
でも、何事もなかったかのように食事を終えました。
三人の女性のうちの一人が、
キンキンした声の持ち主でイラッとしましたが、
わたしが帰ろうとして、座敷を下りる時に、
「ありがとうございました」とキンキンした声で丁寧に
言ってくれましたので、
キンキン声も悪くないなと思い直しました。
会社に戻ってスパートをかけ、午後五時まで。
電話も鳴らず、平日の1.5倍ほど進んだでしょうか。
充実した一日でした。

 スポフェスの子等のびのびと五月かな

20100524203150

この頃の天気

 

 傘置きてまた傘を買ふ五月かな

雨が降り続いてくれたら、
それはそれで、
梅雨だからなーと、あきらめもつきます。
この頃の天気は、こちらの行動をからかうように、
降ってみたり、晴れてみたり、降ってみたり、
また晴れてみたり…。
コノヤロー、いったい、どっちなんだと。
天気に文句言っても、仕方ありませんが。
きのうは、木曜日で、気功教室の日でした。
終って外へ出たら、雨。
あちゃーと思いましたが、
本降りでもないし、
というか、傘を持っていなかったので、
急いで駅に向かいました。
向かいながら、
保土ヶ谷の駅に着いたら、
タクシーで家まで帰ろうと考えました。
タクシーの1メーターよりビニール傘が安いわけですが、
なんとなく、買いたくない。
保土ヶ谷駅に着いて外を見たら、
行き交う人びとが傘を差していません。
お。止んだか!?
思わず、ニンマリしてしまいました。
タクシー乗り場に向かうことなく、
保土ヶ谷橋方面へ歩き始めました。
ナベちゃんのお店、明日、大丈夫かなー?
予約でいっぱいかなー?
などと、今日のことを考えながら歩いていると、
バチバチと、頭の上で音がするではありませんか。
パナマ帽に雨があたる音です。
チッキショー!!
切れそうになりました。
降るなら降る、降らないなら降らない。
どっちなんだ、こんちくしょーめ!
気功で穏やかになった心が、
天気のせいで、
あっという間に掻き乱されてしまいました。

 日と雨とあざなへるごと五月かな

100408_1212~0001

二度美味しい

 

 雉鳴くやふるさとの山遠くあり

食べ物の話ではありません。
きのうも引き続き、
『三島のジャンボさん Mr. グラウンドワーク』の
インタビューをまとめていました。
テープ起こしした原稿の枝葉を取り、
大きなうねりに向かって整理していくわけですが、
それをしながら、
楽しかったインタビューの時間が、
ありありと再現されてきます。
こちらの質問に対して、
ちょっと答えがずれていると思われる箇所があり、
何度もそこを読み返します。
そうすると、
話し手が質問をどうとらえたかが、だんだん見えてきます。
一つのエピソード、物語を通して
質問に答えてくれたことがよくわかります。
人を理解することの難しさ、醍醐味を感じさせられます。
二度美味しいと言いたくなる所以です。

 二日目も姿は見えず雉の声

100408_1250~0001

スポフェス

 

 スポフェスの腕振り一等りなぴかな

スポーツフェスティバル、略してスポフェス。
仲良くしている近所のりなちゃんが、
スポフェスで八十メートル走るというので、
短距離走のコツを教えました。
なんたって「みうらちゃん」は、
高校と大学で陸上部でしたから。
しかも短距離。
子どもたちが一所懸命がんばっている姿は感動的で、
加齢のせいか、見ているだけで、
すぐに涙腺がゆるんでしまいます。
秋田の両親は、
とくに趣味といって無い人たちですが、
わたしの弟が顧問をしている地元中学の
女子バスケットボールの試合を見にいくのが唯一趣味で、
先週は五城目、今週は山本郡、来週は田沢湖と、
小旅行を兼ね、おにぎりをもって出かけていきます。
練習試合は、授業のない土・日にやるようです。
応援に駆けつけて応援しながら、
逆にエネルギーをもらって帰るのでしょう。
スポフェスの日、晴れるといいなぁ。

 鍼灸院尻に針刺す五月かな

100411_1341~0003

先生の罪

 

 青々とミヤマイラクサ刺しにけり

グラウンドワークという、
イギリス発祥の活動があります。
行政と企業と地域の人びと、
それをつなぐNPOが一体となった取り組みで、
日本では、グラウンドワーク三島が先鞭をつけました。
その事務局長さんが、秋田出身の渡辺豊博さんです。
今、『三島のジャンボさん Mr.グラウンドワーク』という
本を編集していますが、これがすこぶる面白い!
渡辺さんが秋田にいたのは六歳までで、
父親が亡くなったのを機会に、
母のふるさとである三島に帰りました。
小学校に入ってから、
一年と二年のときの担任から、
「田舎者」「父親のいない子」と差別され、
母親が仕事で忙しく、渡辺さんは、
服をあまり着替えなかったそうですが、
担任の先生は、「豊博、お前、臭い!」と、たびたび言ったそうです。
渡辺さんの心は、だんだんねじれていきます。
わたしは、渡辺さんから直接その話をうかがい、
もらい泣きならぬ、もらい怒りで、
ワナワナと体が震えました。
小学二年のあるとき、体育の授業が終って教室に戻ると、
「財布がない!」と騒ぐ女の子がいました。
先生は、渡辺さんに向かい、証拠も何もないのに、
「豊博、お前がやったんだろう!」と言ったそうです。
財布を盗まれた女の子に訊くと、
どういうわけか、その子も、
「豊博君の動きがおかしかった」と答えました。
実はこれには裏があり、
ガキ大将だった豊博君をよく思わない別のグループの男の子が、
女の子を脅して、豊博君を陥れようとしたことでした。
渡辺少年がどうしたかといえば、
仲間を使って犯人を探し出し、ボコボコにしてやりました。
それだけでなく、
仲間とともに、川原の石を大量に集め、
バケツに入れて学校のそばに隠しておき、
一ヵ月後を期して、夜、校舎の窓ガラスを友だちと二人で
二時間かけ全部割ったそうです。
宿直の先生もいたそうですが、
渡辺さんの迫力に声をかけられなかったのだとか…。
渡辺さんがインタビューに答えておっしゃるには、
先生を許せなかった、個人的にどうということよりも、
教師として、人間として失格だろうと。
その通りと、わたしも思いました。
学校の窓ガラスを全部割るという行動に、
渡辺少年の深いかなしみが隠されていたと思います。
そんな事件もあって、
渡辺さんは、母親と一緒に、
亡くなった父の親族のいる石川県に行くことになります。
先生の仕事というのは、
良くも悪しくも、
子どもの心に深い印象を与えるものであることを、
この話から改めて考えさせられました。

 つぶすごと部屋の香清し山椒かな

100517_0846~0001