先生の罪

 

 青々とミヤマイラクサ刺しにけり

グラウンドワークという、
イギリス発祥の活動があります。
行政と企業と地域の人びと、
それをつなぐNPOが一体となった取り組みで、
日本では、グラウンドワーク三島が先鞭をつけました。
その事務局長さんが、秋田出身の渡辺豊博さんです。
今、『三島のジャンボさん Mr.グラウンドワーク』という
本を編集していますが、これがすこぶる面白い!
渡辺さんが秋田にいたのは六歳までで、
父親が亡くなったのを機会に、
母のふるさとである三島に帰りました。
小学校に入ってから、
一年と二年のときの担任から、
「田舎者」「父親のいない子」と差別され、
母親が仕事で忙しく、渡辺さんは、
服をあまり着替えなかったそうですが、
担任の先生は、「豊博、お前、臭い!」と、たびたび言ったそうです。
渡辺さんの心は、だんだんねじれていきます。
わたしは、渡辺さんから直接その話をうかがい、
もらい泣きならぬ、もらい怒りで、
ワナワナと体が震えました。
小学二年のあるとき、体育の授業が終って教室に戻ると、
「財布がない!」と騒ぐ女の子がいました。
先生は、渡辺さんに向かい、証拠も何もないのに、
「豊博、お前がやったんだろう!」と言ったそうです。
財布を盗まれた女の子に訊くと、
どういうわけか、その子も、
「豊博君の動きがおかしかった」と答えました。
実はこれには裏があり、
ガキ大将だった豊博君をよく思わない別のグループの男の子が、
女の子を脅して、豊博君を陥れようとしたことでした。
渡辺少年がどうしたかといえば、
仲間を使って犯人を探し出し、ボコボコにしてやりました。
それだけでなく、
仲間とともに、川原の石を大量に集め、
バケツに入れて学校のそばに隠しておき、
一ヵ月後を期して、夜、校舎の窓ガラスを友だちと二人で
二時間かけ全部割ったそうです。
宿直の先生もいたそうですが、
渡辺さんの迫力に声をかけられなかったのだとか…。
渡辺さんがインタビューに答えておっしゃるには、
先生を許せなかった、個人的にどうということよりも、
教師として、人間として失格だろうと。
その通りと、わたしも思いました。
学校の窓ガラスを全部割るという行動に、
渡辺少年の深いかなしみが隠されていたと思います。
そんな事件もあって、
渡辺さんは、母親と一緒に、
亡くなった父の親族のいる石川県に行くことになります。
先生の仕事というのは、
良くも悪しくも、
子どもの心に深い印象を与えるものであることを、
この話から改めて考えさせられました。

 つぶすごと部屋の香清し山椒かな

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