なにげない風景

 

小学館からでている『新編 日本古典文学全集』中の『新古今和歌集』を、
すこしずつ読んでいまして、
『万葉集』『古今和歌集』は、
すぐれた解説者のおかげもあって、
味わいながら、たのしく読むことができましたが、
新古今は新古今で、
万葉、古今とはまたちがった味わいがあります。
こちらの校注と現代語訳は峯村文人(みねむら ふみと)さん。
たのしく読めているのは、
峯村さんのおかげ。
学校で習った知識として、
万葉、古今と比べると、新古今は技巧的、
みたいなことがわたしのなかに刷り込まれていますけれど、
そういう歌もあるにはあるけれど、
ぜんぶがそうだというわけではありません。
なんども読み下し、
風景とそれを詠んだ作者のこころを想像し、
歌っていいなあ、
とつくづく思います。

 

霜冴ゆる山田の畔くろの群薄むらすすき刈る人なしに残るころかな

 

峯村さんの訳は、

 

霜が冷たく置いている山田の畦あぜの群薄が、刈る人もなくて、
残っているころであることよ。

 

慈円さんの歌ですから、詠われた風景の場所は、
京都かもしれませんが、
わたしの故郷秋田のうら寂しい風景と重ねて読んでも、感興は湧いてきます。
なにげない風景といえば、なにげない。
でも、
なんどか声にだして読んでいると、
「刈る人なしに残るころかな」
の「ころ」の余韻がこころに沁みてくるようです。

 

・訪ぬれば景も昔もさみだるる  野衾