歌うこころ

 

『書』に「詩は志を言い、歌は言を詠ながくす」とある。
ゆえに哀楽の心が物に感ずるとき、それは歌詠の声となって外にあらわれる。
それを言ことばに表わして誦むのを詩といい、
その声を詠く節づけるのを歌という。
それゆえ古代に採詩の官があり、
王者はそれによって風俗を観、政治の得失を知り、そしてみずから考え正したのであった。
孔子はもっぱら周の詩を採取したが、
上は殷の詩、下は魯の詩をも採取し、都合三百五篇とした。
秦の焚書の禍わざわいに遭いながらも完全に残ったのは、
その諷誦ふうしょうがただ単に竹帛《ちくはく》にだけ残されたのでないからである。
(斑固[著]小竹武夫[訳]『漢書3』ちくま学芸文庫、1998年、p.519)

 

司馬遷の『史記』につづき、電車通勤の行き帰り、班固の『漢書』を読み始めて
しばらく経ちます。
いま読んでいるところは「芸文志」で、
歴史書が扱う時代の図書目録が記されています。
引用した文章中『書』は書経。
『古今和歌集』の「仮名序」ともひびき合い、時空を飛び、広やかな気持ちになります。
秦の焚書坑儒は有名ですが、
焚書の禍いに遭いながらも詩が残ったのは、
その諷誦がただ単に竹簡や布帛にだけ残されたのでないから、
とする班固のもの言いに、
しずかではあるけれど、
歴史家としての反骨の精神が鳴っているように思います。

 

・白濁のなかの青さや蜆汁  野衾