わたしより近く

 

神は実に私自身よりももっと私に近いというべきである。
私自身の存在ということも、神が私に近く現存し給うことそのことにかかっている。
私自身のみならず、
一個の石、ひと切れの木片にとっても神は近く在し給う。
ただこれらのものはそれを知らないだけである。
もし木片が最高天使と同じ程度に神を認め識り、それがいかに己れに近いか
を自覚するとすれば、
それは最高天使とその祝福を等しくすることであろう。
実に人間が木片よりも祝福されているのは、
彼が神を知り、
神の己れにいかに近いかを知るからである。
(マイスター・エックハルト[著]相原信作[訳]『神の慰めの書』
講談社学術文庫、1985年、p.294)

 

このあたりに、エックハルトの真骨頂が表れていると感じられ、
ひいては、
ヨーロッパにおける、精神分析、心理学のルーツもあるのではないかと、
想像がふくらみます。
年齢を重ねるにつれ、うきうきすることが少なくなり、
他方で、
気持ちのありようと同調するように、
しずかに、ゆっくりと、
なにかを確かめるように歩くことが多くなった
ように感じますけれど、
そうすると、
一個の石、ひと切れの木片、一枚の落葉に、自然と目が行くようになりました。
なんてきれいな色、なんておもしろい形、音までも。
こんな気持ちになるなんて。
ヘ、ヘ、
ヘックション!

 

・ふるさとは黙しの秋の降り積もる  野衾