ギリシア的人間

 

優勝者への褒美は、元来はおそらくどの地でも値打のある商品であって、
これはホメロスの叙事詩からわれわれの知るごとくである。
時が経つにつれてようやく、
何ものにもまして尊重された冠が優勝者への褒美となった。
……………
だが、
試合の真の目標は、勝利そのものであり、
勝利、ことにオリュムピアでの勝利は、
地上における最高のものと考えられたのである。
というのも、
このような勝利こそそれを手にした優勝者に、実はどのギリシア人も目標としていたこと、
すなわち、
生きているあいだ驚嘆の眼で見られ、
死んだときに高い栄誉を受けるにちがいない
ということを保証したからである。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]新井靖一[訳]『ギリシア文化史 第四巻』
筑摩書房、1993年、p.145)

 

ブルクハルトの『ギリシア文化史』は全五巻で九章ありますが、
筑摩書房の単行本では、
さいごの第九章に四巻と五巻の二冊があてられています。
その章タイトルが
「ギリシア的人間とその時代的発展」
なにがギリシア的なのか?
それは、
英雄神的であり、植民的であり、競技的であること。
ブルクハルトの洞察がここにあります。
およそ二千五百年前、
あるいはさらに前の時代のことなのに、
ブルクハルトのていねいな古典読解に案内されながら進むうちに、
当時のギリシア人と
現代のわたしたちが、
何一つ変っていないことに気づかされ、
驚きを禁じ得ません。
まさに、歴史も古典も、
自己と社会を映しだす鏡であると納得。

 

・つとめ終へうら悲しきや五月雨  野衾