ハーヴェスト

 

拙著『文の風景 ときどきマンガ、音楽、映画』につきまして、
いろいろな方から、
ありがたい葉書、手紙、絵、電子メール、また直接のコメントをいただきました。
寄せられることばに接するたびに、
じぶんでは気づかなかったことに気づかされ、
本を出してよかったと思います。
今回の本では、
この十一年間に読んだ古今東西の本が中心ですが、
一読者として改めて拙著を読んでみると、
その都度取り上げた本のなかのことばたちが、
いわば、
わたしの記憶(=精神)の田んぼに蒔かれた種で、
拙著は、
その種が時の恩恵をいただき、
日々の体験から養分を摂取しやがて実りの季節を迎え、それを刈り入れ束ねて出来たもの、
とも思います。
なかには、
途中で枯れてしまったり、
鳥に啄まれたりしたものがあったかもしれない。
それは、
種の問題というより、土の問題。
これらの連想は、
畏友高橋大さんからいただいた絵によって喚起された部分が大きい
気がします。

 

・秋麗や亡き友と行く半僧坊  野衾