ジル・ドゥルーズ

 

先だって、
学習院大学の中条省平先生、東京学芸大学の末松裕基先生をお招きし、
拙著『文の風景 ときどきマンガ、音楽、映画』
について鼎談を行った際、
終りに近づいたころ、
中条先生が、
ジル・ドゥルーズの『シネマ』の最後の方に、
「世界への信頼」ということばがでてくることを引き合いに出されました。
ドゥルーズの著書は、
かつて『差異と反復』を読んだだけで、
そのときの印象しかありませんでしたから、
映画が
「世界への信頼を回復するためにある」
とドゥルーズが捉えていたことに興味を持ち、
さっそく法政大学出版局からでている『シネマ1*運動イメージ』を求め読みましたら、
あっ!と目をみはる箇所に出くわしました。

 

わたしたちを破滅させ、劣化=堕落させるのはまさに反復なのだが、
しかしその反復こそがまた、
わたしたちを救済しうるのであり、
わたしたちをそれとは別の反復の外へ出すことができるのである。
キルケゴールがすでに、
過去の反復すなわち拘束し劣化=堕落させる反復と、
信仰の反復すなわち未来に向けられた反復とを対立させており、
そして後者の反復こそが、
〈善〉の力ではなく不条理なものの力のなかで、
すべてをわたしたちに再び与えてくれる反復であるとしていた。
つねにすでになされてしまったものの再生としての永遠回帰に対して、
復活して新しくなることとしての永遠回帰、
新たなものそして可能なものの新たな贈与としての永遠回帰が対立するのだ。
(ジル・ドゥルーズ[著]財津理/齋藤範[訳]『シネマ1*運動イメージ』
法政大学出版局、2008年、p.232)

 

いろいろな読み方ができる文章ですが、
単語の選びを含め、
聖書及びキリスト教の世界観を抜きに理解することは不可能であると思います。
この本と、
この本の肝になることばを紹介してくださった中条先生に感謝します。

 

・虫の声過ぎてまたする虫の声  野衾