光源氏とカサノヴァ

 

「何ですって! すると、あれは自尊心からではなかったのですね?」
「ええ、本当はそうじゃなかったのです。
あなたはあたしに対して正しい判断だけをして下さいましたわ。
あたしは、
ご存知のような馬鹿なまねをしましたが、
それは、義父があたしを修道院へ入れようとしたからなのです。でも、
どうか身の上話には興味をお持ちにならないで下さい」
「うるさくは聞きませんよ。わたしの天使。今は愛し合いましょう。
二人の平和を乱すかも知れない将来の心配などはしないことにしましょう」
二人は愛し合いながら寝たが、
翌朝ベッドを出るときには、さらにいっそう愛し合っていた。
こうしてわたしは、
つねに同じ愛情を抱いて三カ月を過ごしたが、たえず愛することの幸福に酔いつづけた。
(ジャック・カザノヴァ[著]窪田般彌[訳]『カザノヴァ回想録 2』河出書房新社、
1968年、p.42)

 

もう四十年も前になりますが、『源氏物語』を原文で読もうと思い立ち、
岩波書店から出ている「日本古典文學大系」の五冊を、
こまかい注と古語辞典をたよりに冒頭から、
まさにカイコが桑の葉を食むように、
毎日少しずつ読み始め、
さいしょは、
脳味噌から汗がたらたら零れ落ちるような具合でしたが、
だんだんと物語をおもしろく思えるようになってきたとき、
女性たちに対する光源氏の熱量の多さに驚き、
さらに読みすすめていくうちに、
相手ひとりならいざ知らず、
複数の女性に対して、
しかも同時に、
この熱量の多さにはリアリティがないな
と白けはじめ、
そうか、
この物語は、一応、光源氏が主人公となっているけれども、
光源氏は、物語を進めるための、
いわば狂言回し的人物でもあって、
本当の主人公は女人たちだなと思った。
なので、
のちに、瀬戸内寂聴さんの『女人源氏物語』を読むに至り、
さもありなん、我が意を得たり、
と合点がいった。
したがって、
スーパーヒーローは、現実にはあり得ないと高を括っていたところ、
世界は広いわけでありまして、
十八世紀のヨーロッパには、
光源氏と見紛うばかりのプレイボーイが、実際に、歴史上存在していたのでした。
それが、ジャコモ・カサノヴァ、
あるいはカザノヴァ、カザノーヴァ。
ヴィクトル・ユゴーの伝記的事実を知ったときも、
その絶倫さに舌を巻く思いをしましたが、
要するに、
膾、刺身の文化とステーキの文化では、
恋における熱量が基本的に相違しているということかもしれない。

 

・奥山に大き石あり冬紅葉  野衾