好日

 

ステンレス製の腕時計ベルトが壊れてしまい、
さてどうしたものかと思いつつ、
時刻を知りたくなったら、いまどきスマホで間に合うし、
このまえテレビを見ていたら、
腕時計を持っていないという芸能人もいて、
わたしは芸能人でないけれど、
また、
芸能人の真似をするわけでもないけれど、
いそがしい芸能人が腕時計をしていないのなら、
それほど忙しくないわたしが腕時計をする必要が、そもそもあるだろうか、
と疑問に思い、
本棚の空きスペースに置いて、
しばらくそのままになっていました。
が、
ときどき気になり、
これは、
必要か不必要かの問題とはちがうのではないか、
とふと感じ、
そういえば、以前、
十年以上前になるだろうか、
野毛にある時計店で直してもらったことがあったような…。
出勤前、記憶を頼りに訪ねてみた。
あった、あった。
ここだ。
なかに入ると白髪の店員が対応してくれた。
椅子を勧められたので、それに腰かけたまま、職人さんの作業を黙って見ていた。
職人さんは、
問わず語りに、ゆっくり、静かに、
時計のことを教えてくれた。
いまの時計は、総じて修理がむつかしいらしい。
すき間なく作られているので、取り外し困難なものが多いのだとか。
わたしのも、バネ棒がなかなか外れなかった。
汗でさび付いているのかもしれない。
外れなければ、交換はできない。
結局、
友人の歯医者から譲ってもらったというとっておきの歯科の道具をつかい、
やっと、外れた。
外れれば、
あとは新しいベルトと交換するだけ。
ちょっと考えて、
ステンレス製のベルトを止め、
革のを所望した。
お代を払い、左の手首に時計をし、お礼を言って外へ出た。
会社まで歩き、一日の仕事をこなし、家に着いて食事をし、風呂に入るときは外したけれど、
なんとなく、しずかな嬉しさがつづいていたから、
また左の手首に腕時計をし、
そのままふとんを被って眠ることにした。

 

・水面にわが身映して枯葉散る  野衾