大野はそれまでも、ゲラに何回も朱を入れることで岩波書店では名が轟き、
すでに伝説になっていた。
ゲラは校正を出すごとに、費用がかかる。
『日本語の形成』は慎重がうえにも慎重を期すため、
四回も五回もゲラを取る。
大野はそのつど、入念に手を入れた。
製作コストは膨大なものになりそうだった。
常務の鈴木稔は頭が痛かった。
コストが例のない額になるので、
本の定価を抑えるためには、
著者の印税を削ることしか方法がない。
事情を著者に説明し、わかってもらわなければならなかったからである。
鈴木は東大を出て昭和三十六(一九六一)年に岩波書店に入った。
大野とは昭和四十九年に『日本語をさかのぼる』
を担当して以来、
大野のすべての著書に直接あるいは間接的にかかわり、
大野から絶大な信頼を寄せられていた。
この役は、
鈴木にしかできないものだった。
意を決し、そのままいった。
大野は顔色ひとつ変えることなく「そうして下さい」といった。
大野はコストがかさんでいることを知っていた。
定価を二万円以内で抑えるためには、
印税を削る以外に方法のないことがわかっていた。
鈴木は鈴木で、
大野が校正者などの労苦に対して過分なまでの礼をしていることは聞いていた。
ほどなくして大野から『日本語の形成』の「序文」が届いた。
冒頭に、
「私はこの本の序文を書くときまで生きていることができて仕合せである。
私の一生はこの一冊の本を書くためにあったと思う」
とあった。
鈴木は文字がにじんで、
その先を読むことができなかった。
(川村二郎『孤高 国語学者大野晋の生涯』集英社文庫、2015年、pp.332-4)
川村二郎さんが書いた国語学者・大野晋さんの伝記を、
一気に読了。
これまでいろいろな方と対談をしてきましたが、
機会があれば、
直にお話を伺ってみたいと思っていたひとのお一人でした。
日本語と南インドのタミル語との関係をしらべ研究した大野さんの論考は、
学界ではあまり評判がよくないようですが、
この伝記を読むと、
なるほど、
そういうこころの動きだったんだなぁと納得。
それと、
この本を読んでふかく共感したのは、
大野さんが、
ことばを、いのちをもった生き物と同じようにとらえる、
その認識のあり方でした。
・ふるさとの夢に広がる花野かな 野衾