余談ながら、数学者のなかには閑人があって、
その数字を小数点以下七百七桁まで計算したものがいたものであった(一八七三年)。
ところが、
一九四六年に至り、
この計算は五百二十八桁目で間違っていることが判明してしまった。
こんにちでは、
コンピュータによって、
πの数値は十万桁まで知られているが、
これを計算するためには、
コンピュータを使用すること八時間四十三分を要した、
と伝えられている。
コンピュータを使えば、
十万桁はおろか、それからいくら先の数字でも算出できるはずではあるが、
たとえば、
千兆目の数字が何であるかは、
いまのところ、神様だけが知っているのである。
(吉田洋一『零の発見』岩波文庫、1956年第22刷改版、pp.64-5)
『絶対無と神』の著者・小野寺功先生のお話を伺っていると、
ゼロの発見がインドでなされたことが、たびたび先生の口に上るので、
本棚にあった岩波文庫を取り出し、読み返してみたところ、
著者の吉田洋一さんは、
インドの哲学思想とゼロの発見を結びつけて考えることに、
必ずしも賛成していない、
むしろ批判的なニュアンスで書かれていることが分かりました。
ところが、
それをきっかけに、
ネットであれこれ検索しているうちに、
サンスクリット語の言語構造と
ゼロの発見が結びつく、
さらに、
それが「場所」と大きくかかわっていることを示す本があることを知り、
さっそく注文。
届いたらすぐに読んで、
小野寺先生に伝えようと思います。
ところで、
『零の発見』を読んでいたら、
円周率に関する面白いエピソードが記されていました。
気になりましたので、
このごろは、
どこまで進んでいるかと調べてみましたら、
昨年の夏にギネス記録が更新された
とのことで、
その桁数は、
62兆8318億5307万1796桁。
ということは、
円周率の千兆目の数字は、現代においても、
「神様だけが知っている」ということになります。
・台風の空や刻々海の色 野衾