「自然の歴史と人間社会の歴史とから弁証法の諸法則は抽出された。
じつにそれらの法則は歴史発展のこの二つの側面がもつ、
また思考そのものがもつ、もっとも一般的な法則にほかならない。
(略)(ヘーゲルの)誤りは、
彼がこれらの法則を思考の法則として自然と歴史とに押しつけたことに由来する。
じつは自然と歴史からこれらの法則を導き出さねばならなかったのに。
(略)いずれにせよ、
宇宙の体系は思考の体系に合致するはずである。
思考の体系は、
じつは人類進化の任意の段階それの表現にほかならない。
ことがらをしかるべき場所に置き直せば、なにごとも単純明快になり、
観念論的観点から眺めるときにはかくも謎めく弁証法の諸法則も、平明になる。
真昼の太陽ほどにも明るくなる」。
思考――未開の思考であれ、文明化された思考であれ――の法則は、
物理的現実のなかに表現される法則、
また物理的現実の一側面にほかならない社会的現実のなかに表現される法則と、
じつに同じものなのである。
(クロード・レヴィ=ストロース[著]福井和美[訳]『親族の基本構造』青弓社、2000年、pp.733-4)
上で引用した文章のなかの、レヴィ=ストロースが引用した文章は、
フリードリヒ・エンゲルスの『自然の弁証法』からのもの。
大学時代になじんだものでしたので、
文字を追う目がここに差し掛かったとき、
ハッとしました。
さらに連想は止まず、
法則を支える数学的発想に魅せられたことも。
友情や恋愛や誕生や希望や成功に、法則というものがあるだろうか、
あるとしたら、それを数学で解くことができるだろうか、
そんなことを考え、
空を見上げたことがありました。
文字どおり、
空想でありました。
少年から青年にかけての時期のこと。
「限界効用逓減の法則」は、その一例。
『親族の基本構造』に、
引用している文献からまじめな注として、
「性的パートナーに飽きるという人間の生得的傾向は高等類人猿にも共通する」(p.95)
の文言が引かれていて、
「限界効用逓減の法則」的笑いをわたしにもたらし、
あわせ、
かつての空想を懐かしく思い出しもしました。
『親族の基本構造』はレヴィ=ストロースの主著であり、
シモーヌ・ヴェイユの兄であるアンドレ・ヴェイユも参加したブルバキ派の数学
の影響を多分にうけているそうですが、
その心性は、
引用した箇所に如実に表れていると思われます。
・晴れ晴れや賑はひ忘る秋の風 野衾