あいさつ少年

 

三日前のことになりますが、
保土ヶ谷橋から路地に入って
急階段をえっちらおっちら上りきり、
さらに坂道を歩いて
右に大きくカーブしたあたり、
「こんばんは!」
と声をかけられました。
「あ。こんばんは」
少年はそのまま坂を下りていきました。
ちょっと驚いた。
なぜあいさつしてきたのでしょう。
ごくあたりまえのような
「こんばんは」
いや、
少年にとって
「ような」ではなしに
ごくあたりまえだったのでしょう。
面識はなくとも、
あの時間に歩いているのは近所の人にちがいないから、
いやそんなことを考えることなく、
ふつうにあいさつしてくれた
のかもしれません。
とにかく気持ちよかったです。
おそらくこの少年、
このごろは朝六時半に「行ってきます」と
大きな声で言って家を出る彼でしょう。
声がわたしの部屋まで聞こえてきます。
何年か前までは
七時半ごろでした。
部活動の朝練習でもするようになったのかと想像していますが、
あの少年にちがいありません。

 

・吹く風の落ちてかそけき暮れの秋  野衾

 

山茶始開

 

きのうは立冬。
今週は第五十五候の「山茶始開」
つばきはじめてひらく。
いよいよ冬支度の季節です。
おととい税理士の先生が来られ、
第十九期決算の中間報告をつげられました。
細かいことはともかく、
売り上げを始め
かなりいい数字であることが明らかになりました。
みんなで知恵を出し合ってきたことの証です。
二十年やっていますので、
直感で
だいたい分かるようになってきました。
経営の才覚がありませんから、
経費と売り上げがほぼほぼトントンになるように
というのがわたしの考え。
資本主義経済においては
拡大再生産が基本かもしれませんが、
マルクスも
そう言っていますけれど、
単純再生産でいいと単純に思っています。
単純愚直に、
量的な拡大を追わずにつづけることが
質的な向上を産むはずである
と信じています。
みなさま、これからもよろしくお願いいたします。

 

・はしやぎての後ろはたれの秋深し  野衾

 

学問をするとは

 

吉川幸次郎の『「論語」の話』(ちくま学芸文庫)
をおもしろく読みました。
この本は、
1966年8月にNHKラジオで放送されたものが
ベースになっています。
これを読むと、
吉川が学問を、学問することを
どう考えているかがはっきりと分かります。
第22回「最晩年の孔子と孔子伝説」
から。
「人間は生きるためには必ず学問をしなければならない、
書物を読まなければならないという態度、
これは孔子の教えの中で私が最も尊重するものでありますが…」
第27回「終わりに――学問のすすめ」
から。
「孔子が学問として意識いたしますものは過去の人間の経験であります。
それを記載した書物をよく読むということが、孔子の学であります」
話し言葉ということもあり、
歯切れがよく、
分かりやすく味わい深い内容の本でした。
宮城教育大学での斎藤喜博の最終講義のときに語ったという
林竹二のコメントを重ねて思い出しました。
「先人たちに少しでも近づきたいというのが私の学問です」
わたしもそのようでありたいと願います。

 

・爽やかに竹林を抜け風の立つ  野衾

 

ジャンプ一発

 

家を出、いつもの階段を下りていくと、
ブロック塀のうえに猫がいる。
まるで飛び立とうとするかのような恰好
をしていると思いきや、
なんと
ほんとに飛び立った。
そしてなにごともなかったかのごとく屋根の上にちょこんと。
さすが野良猫、
野生が生きている。
いまの飼い猫だと
こうはいかないんじゃないかしら。
分かりませんけど。

 

・白きこと捥がるる痕や柿の蔕  野衾

 

あぐど

 

秋田では「踵(かかと)」のことを「あぐど」と言います。
秋田だけかと思ったら
そうではなく、
割と北日本にひろく分布しているようです。
「あぐど」だったり「あくど」だったり、
九州・沖縄では「あど」「あどぅ」
と言うと記しているサイトもあります。
ところでこの「あぐど」
なぜ「あぐど」か?
このことについてしっかりした説明を未だ読んだことがありません。
したがいまして、
ここからは単なる想像ですが。
秋田のわたしの田舎では
「あるく」ことを「あぐ」と言う
場面があったような気がします。
たとえば
「そこを歩くな」の意味で「そごあぐな」
「あぐ」が「歩く」だとすれば、
「ど」は部分・場所を示す「処(ところ)」で「歩く処」=「あぐど」
そんなところかと想像します。

 

・旧街道こゑも幽けき黄落期  野衾

 

読書の味覚

 

吉川幸次郎の大学時代の恩師が狩野直喜で、
内藤湖南・桑原隲蔵とともに京都支那学の泰斗。
狩野について吉川は、
狩野先生の教え子たちは、
先生の学問についてその理屈は把握できても、
味覚は未だしであると記している。
本を読む、
それも古典を読むのに
味覚があるというのがおもしろい。
こういう、
本読みの達人たちの文に触れると、
その静かな迫力と深さに圧倒され
個性というのがなにほどのものかと思わされてしまう。

 

・風を容れ洗濯物の秋高し  野衾

 

十一月

 

ぐっと寒くなりました。
ただいま暖房を入れています。
秋田では
居間のガスストーブをつかい始めたらしく。
こうなってくると
木々の葉は色づき始め、
いよいよ紅葉のシーズン。
学生のころ、
友だちと車であちこち行ったっけ。
男鹿半島、十和田湖、八甲田山、裏磐梯…。
大学のある杜の都仙台の紅葉もなかなかで。
八木山の谿にかかる橋からの景色もまたすばらしい。
見たい行きたいところがいっぱい。

 

・しののめの厨の柿の赤きかな  野衾

 

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