霎時施

 

俳句をやると季節を意識するようになる
というのはどうやら本当です。
自宅でつかっているカレンダーは七十二候めくり。
来年のものもすでに購入済み。
パソコンの壁紙には
季節を感じる好きな画像をダウンロードしてつかっています。
いまは紅葉の季節。
「紅葉」で検索すれば、
全国各地の目も覚めるような写真が見られます。
その場に身を置けば
なおいっそうかもしれませんが、
写真を見ながら想像するのも
わるくありません。
七十二候では
きょうは第五十三候「霎時施」
こさめときどきふる
と読むそう。
これまたむつかしい。

 

・光(こう)燦々孵化するごとく花すすき  野衾

 

読めないよー

 

古書で求めた『新編 飯田蛇笏全句集』を少しずつ読んでいます。
入手したとき
すでにかなり傷んでいましたので、
製本テープやらボンドで修復。
さて飯田蛇笏は1885年(明治18年)生まれ。
むかしのひとはこんな漢字をふつうに読めていたのかしら、
と思うような、
むつかしい字がばんばんでてきます。
振り仮名はありません。
そのつど漢和辞典で調べ、
へ~、知らなかったなーで済むこともあれば、
八方手を尽くしても読めないものもありまして。

 

鴨足草雨に濁らぬ泉かな
ふもと井や湯女につまるる鴨足草

 

『山蘆集』明治四十三年夏の句としてでています。
さてこの鴨足草。
鴨の足の草。
ははー、
これは漢和辞典では調べようがないな、
とまでは思いました。
おそらく形が鴨の足に似ているから
その漢字をあてたもので、
読み方はふつうの訓読み、音読みではきっとない…。
それからあてずっぽうで
ああかなこうかなと想像するのですが、
自慢じゃないけれど、
わたくし草花の名前(だけではありませんが)にとんと弱く、
あえなく降参。
お手上げ。
こういうときインターネットは助かります。
だれかがどこかでちゃんと読み方を紹介していますから。
知ってみると、
なるほど、
形が似ていないこともない。
ちなみに鴨足草は虎耳草とも書きます。
はい。それではここで問題。
鴨足草、虎耳草、いったいなんと読むでしょうか?

 

・息合せ山路の秋のまへうしろ  野衾

 

秋蝶は

 

きのう、正午を少し回っていたでしょうか。
散歩がてら
保土ヶ谷駅まで行こうと家を出て間もなく、
鉢植えの花ちかく
蝶が飛んでいました。
十月も押し迫ってきたのに珍しい。
さっそくスマホを取り出し写真を撮ろうとするのですが、
気配を感じてか、
こちらの気に入るようには
撮らせてくれません。
近づくと逃げ
離れるとまたやって来ます。
ちょうちょうとは飛ばず、
あくまでも
てふてふてふと。
てふてふ、てふてふ、てふてふ…。
てふてふ、てふてふ、てふてふ…。
近づくと逃げ
離れると来る。
「こんにちは」
振り向けば近所の奥さん。
「どうも。こんにちは」
結局写真は一枚も撮らずに終わりました。

 

・秋蝶の来(きた)りてふてふ光るかな  野衾

 

亨吉と奥邃 2

 

ふたたび青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』から。
亨吉の日記の昭和十六年八月六日の項に、
「中村千代松告別式」
とある。
「参列」のことばは見えないが、
参列しなかった
とも書かれていないから、
日記の記述であることからすれば、
おそらく出かけたのではなかったかと想像される。
亨吉と千代松とは、
それぐらいの関係ではあったのだろう。
奥邃とのかかわりを記録した千代松の手記「随感録」に
たしか亨吉の名前はなかったはず。
ただ、
帰国後の奥邃に親近したひとに亨吉と同姓の
狩野謙吾がいたことはわかっていて、
「随感録」にもその名がでてくる。
たまたま同姓なのか、
なにか縁戚関係でもあったのか、
いまのところわたしには分からない。
亨吉が亡くなったのは昭和十七年十二月二十二日。

 

・歩み来て秋のみのりの寿司を食ぶ  野衾

 

をりとりて

 

すすきの季節になりました。
自宅近くの坂道、
ちょっとした崖にも銀色の尾花が風に揺れています。
ひらいたばかりの尾花は
茎に近いほうが
ほんのりピンク色をしています。
飯田蛇笏の俳句に

 

をりとりてはらりとおもきすすきかな

 

がありますが、
すすきは
万葉の時代から歌に詠まれてきました。
歌に詠まれる前から
日本人はその風情、
たたずまいに魅せられてきたのでしょう。
いま「をりと」るすすきが、
「はらりとおも」いのは、
日本人が古くからすすきに託してきた思いがあるからでしょうか。
すすきならすすき
という言葉は、
目の前のすすきを表しながら、
折り重なる時間を運んできてくれるようです。
たった十七文字ではありますが、
ひろやかで
のびのびした時空へといざなわれます。

 

・公園に動くものあり小鳥来る  野衾

 

亨吉と奥邃

 

青江舜二郎の『狩野亨吉の生涯』がおもしろい。
かつて中公文庫に入っているものを読んだが、
今回は、
そのもとになった明治書院版。
そのなかに、
亨吉が安藤昌益の自然真営道の筆写本を手に入れたくだりが記されており、
ひきつづき、
中村千代松あてに
昌益の著書、日記、書翰、系図等があれば、
借用もしくは購入したい旨の手紙を出したことが
明記されている。
明治三十二年のことだ。
明治三十二年といえば、
奥邃がアメリカから帰国した年。
さて昌益も亨吉も秋田出身。
だから、
昌益に関して亨吉が
秋田出身の名士・中村千代松へ問い合わせしたというのも
宜なるかな。
ところで中村は
その最期を看取るほど奥邃に親近した人。
となると…。
しかしこの時点で中村は
奥邃を知らない。
というか、
奥邃はまだ日本の土を踏んでいない。
その後、
もし中村を介して亨吉が奥邃を知ることがあったら、
また会うことがあったなら、
と、
稀代の傑物二人の遭遇を夢見ては
ひとり愉しんでいる。

 

・エンジン音止んで夜へと刈田かな  野衾

 

三葉虫!?

 

日が短くなりまして、
保土ヶ谷の自宅に着くころには
とっぷりと暮れています。
細い路地を曲がり一段一段上っていましたら、
足下に生き物の骨のような…。
三葉虫の化石に見えないこともない。
ということで写真を一枚。

・カスタネットの喉鳴らしをり秋蛙(かわず)  野衾

 

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