お母さんにエンガワ

 

・新米や水少なめに炊きにけり

会社帰り、
JR桜木町駅にある回転寿司の店にて
焼酎の水割りを一杯やりながら寿司をつまんでいると、
回転するベルトの向こう側から
子どもの声が聞こえてきました。
「マグロください」
「わさびは要らないね」と板さん。
「エビください」
「蒸してあるのとナマのがあるけど?」
「蒸してあるのください」
元気な利発な子どもです。
気分がよくなり、
そちらに目をやれば、
三歳ぐらいかとも思える男の子と、
向かい側に母親と、
男の子の弟でしょうか
もうひとり座っています。
三歳と思えたおにいちゃんは、
注文するときのキレのあることばづきから判断するに、
三歳ではなく四歳かもしれず、
しかし五歳にはなっていないでしょう。
顔立ちもきりりとし、
向かいのお母さんによく似ています。
と、
「お母さんにエンガワください」
あはははは…。
つい声がでてしまいました。
お母さんにエンガワください…。
そうか
お母さんにか。
焼酎の水割りを
今日は一杯だけで終りにしようと思って店に入りましたが、
つい二杯目を注文しました。
「お母さんにスミイカください」
わたしもつられて、
「スミイカください」

・寿司屋にてお母さんにの声ひびく  野衾

杜甫と芭蕉

 

・一杯の酒ことし最初の鍋となり

小西甚一の『日本文藝史』が
ようやく松尾芭蕉のところまできました。
ふ~。
芭蕉がいかに凄いか、
小西さん、
記述に相当力が入っています。
してその芭蕉先生、
これはつとにいわれてきたことですが、
杜甫の詩をずいぶん読み込んでいたらしいことが
この本を読むとよく分かります。
杜甫の詩か~。
杜甫の詩といえば、
もう三十年、
いやもっとまえになるでしょう。
筑摩書房から出ていた吉川幸次郎の
『杜甫詩注』五巻を購入し、
いつか読もういつか読もうと思ってきたところ、
時間ばかりが経ちまして。
やっとその時期が巡ってきたようです。
大きい本は、
若いときに買ってもすぐ読まず、
興味関心が螺旋をまき、
絞り込まれたときに読むのがいいようにも思います。
(↑言い訳)
ていうか、
すぐに読み始めても
きっと読みきれなかったでしょう。
今も無いとは言えませんが、
若いときはやたらに雑念多く、
疾風怒濤が猛り立ち、
とても落ち着いて本など読んでいられませんでした。
小西さんの本を読んでいると、
吉川幸次郎というひとは、
百年や二百年のスパンで計れないほど
漢文ができたひとだったことに気づかされます。
空海とか
そういうひとぐらいに。

・秋風や道の奥から又三郎  野衾

カラス朔太郎

 

・映画館出でて行き先失へり

萩原朔太郎をナマで知っている人が、
朔太郎は
喜劇俳優のバスター・キートンに似ている

どこかで言っていたのを読み、
それならと、
あらためて眼ぎょろりのキートンの
映画をDVDで観、
写真で知っている朔太郎を思い浮かべたら
たしかに似ていました。
草野心平が不在のとき、
朔太郎が草野宅を訪ねてきたことがあったそうです。
奥さんが対応し、
朔太郎はすぐに帰った。
草野が帰宅するや、
奥さんは、
「今日、眼がぎょろりとしたひとが訪ねてきたわよ」
草野はまた、
夢で鴉が後ろ足で立って歩いているのを見、
ああ朔太郎さんだ、
と思ったら目が覚めたのだとか。
ストーン・フェイスのバスター・キートンの
「キー」は、
ぼくにはどうしても
「黄ー」に思えてしまいます。
と思っていたら、
筑摩書房からでている
萩原朔太郎全集の表紙の色は黄色で、
ああやっぱりと、
根拠もなく
ぼくのなかでは合点がいったのでした。

図書新聞に論創社から刊行なった
『大菩薩峠【都新聞版】』の書評が掲載されました。
コチラです。

・秋なれば店の娘の懐かしき  野衾

語り口

 

・秋風やページはらりと文庫本

小西甚一の浩瀚な『日本文藝史』を読んでいると、
ハッとさせられることが多いのですが、
あまりに物事をはっきり言っていて、
思わず大声をだし笑ってしまうことがあります。
たとえばこんな箇所。
「連歌人口の増大と表現の平明さとを結びつける考えかたは、
あまり教養の無い者たちにとって複雑・微妙な表現がお荷物のはずだ――という前提に立つ。」
それはそうかもしれないけれど、
そうはっきり言わなくても
と思ってしまいます。
でもやっぱり可笑しい。
そもそも小西さんは、
ドナルド・キーンさんの強い推薦もあって
スタンフォード大学に招かれていったぐらいの秀才で、
この本は、
日英両語で出版されたぐらいですから、
シンプルなことをむずかしく言って煙に巻く
ような日本人体質は、
端から拒絶されたのかもしれません。
もうスパパパパン!!!と切っていくわけです。
それがなんとも心地よく
しかも分かりやすく腑に落ちます。
かと思えば、
嵐のあとの凪のように、
静かに慎重に論が展開されて息を呑むことも。
語り口の妙なのでしょう。
語り口といえば。
先夜、
二時ぐらいだったでしょうか。
(年のせいか、このごろたまに夜中、目が覚めます)
眼が冴え身じろぎもせず
闇に目を凝らしていたとき、
家人いきなりハッキリと「内容が分からん!」と言い切りました。
こんなハッキリとした寝言も珍しい。
どんな内容の夢だったのか、
朝、
目を覚ました家人に確認しても分からずじまい。
まったく内容が分からん! でした。

橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の三十三回目と三十四回目が掲載されました。
コチラコチラです。

・星月夜理科の教室思い出づ  野衾

きのつらゆき

 

・秋の日のヰ゛オロンならずピアノかな

この歌をつくったのだれ?
きのつらゆき
え?
きのつらゆき
どの?
どのじゃなく、きのつらゆき
そのつらゆき?
きのつらゆき
ああ、あのつらゆき
いやちがう、きのつらゆき

男もすなる日記といふものを女もしてみむとて

きょうも?
きょうも、って?
きのうつらゆき、きょうもかと?
ああ、そういうことね、きのうじゃなくて、きのつらゆき
奈良へは?
は?
きの奈良ゆき、なんて
ははははは…
地獄極楽きの魔羅ゆき
ふふ
んなことないか
きのつらゆき
きのつらゆき

・一日を二句にまとめて機械閉づ  野衾

キュービック・シティ

 

・秋風や函を巡りて行き場なし

観音崎で遊んだ帰り、
何十年ぶり(大げさか)かで横須賀に立ち寄りました。
ん? この圧迫感はなんじゃいな

息苦しさを感じつつ
むかしの面影をたずねます
クルマは走り
ひとは歩き
公園に子どもは遊び
していますが
息苦しさは止まらない

わかった
わかったぞ
この街の建物の多くが巨大なサイコロで
骰子一擲!
ででんでん
ころがる先の端
無計画と無計画のあいだ
首を折り
垂直に空を眺めても
キューブの縁《へり》が視界に入り
町全体が監獄で
腰をふりふり
ジェイルハウス・ロック

ひとつだけ
ベンガルてふカレー屋に救われる
四十年やってるってさ
そうでしょ
そうでしょ
ジャーマン・エッグ・カレーてふ
プロレスの技
のようなるメニューを
わたしはここで覚えたのだ
以来
バカの一つ覚えのジャーマン・エッグ・カレー
ウインナーと目玉焼き
目玉焼きとウインナー
××ぬうちに
おさらばさらば

さらばさら

・波頭くるり砕けて鳴り果てり  野衾

観音崎再訪

 

・半島のおと秋めくや貝の殻

日曜日、
まるちゃん一家のクルマに乗せてもらい観音崎へ。
朝方までけっこう本降りでしたから、
どうなることかと心配しましたが、
待ち合わせの時刻の頃にはすっかり止み。
途中、
地元で人気ナンバーワンのお寿司屋さんへ。
待つこと十五分ほどでしたか。
来ました来ました!
やんややんや、
鯛やヒラメの舞い踊り。
いや。
踊りだしたいのはこちらのほうで。
さすが、
地元の人の舌は肥えている。
それから海へ。
向こうに見えるは千葉かいな。
堀口大學訳ジャン・コクトーの詩を口ずさんだり。
少しぐらいの気鬱なら、
ざぶんの音を浴び
身を浸しているうちに
少しは浮いてくるかもしれず。
それにしてもあのリズム、テンポ。
どんな音楽も叶いません。

・海鳥の秋すれすれに旋回す  野衾