おとなりです。

 

・いわし雲吾に呼びたき心地せり

腹に据えかねることのあり、
むしゃくしゃしたまま家路につき、
くそったれえ、
気分転換をと、
駅近くスーパーマーケットに立ち寄りまして
菊水ふなぐち黄金缶三本を買い物籠に。
あと少々のつまみを。
レジに並んで籠を差し出し
鞄から財布を出して見上げると、
おねえさんの左胸の名札に
「おとなりです。」
ん!?
おとなりです?
はて?
とりあえず、
辺りをきょろきょろしてみました。
とくに隣がどうということもなさそう。
どいうこと?
隣のレジに居るおねえさんの名札を見ると、
「もりです。」
名札には、
あたりまえに名前が書いてあります。
あたりまえです。
名札なんですから。
ということは。
おとなり、という名前?
「あのー…」
「はい」
「つかぬことをうかがいますが、
おとなりというのは、
漢字でどう書きますか?」
おねえさん、
あわてず騒がず、しかもやさしく
「はい。甲乙の乙という字に平成の成の字を書きます」
「ああ、なるほど。乙に成で、おとなり…」
「はい。長崎の対馬地方に多い苗字です」
「そうですか。ご両親が対馬ご出身だとか?」
「はい」
おねえさんは心なしか微笑んでいます。
長崎の鐘は鳴り、
鐘は鳴り、
腹にあった腐敗性物質がようよう揮発し始め。
おとなりさんの乙は、
甲乙の乙でなく、
乙姫の乙でもあります。
いや。
乙姫の乙でなければなりません。

・夜に入り階《きざはし》一歩秋来る  野衾