唄の力

 

・竹山や深く悲しくひびきけり

昨日、
渋谷にある「サラヴァ東京」で行われた
二代目高橋竹山定期演奏会第一回リサイタル
「東北を聴く―民謡の原点を訪ねて」
に社員共々行ってまいりました。
東日本大震災の後、
竹山さんと詩人の佐々木幹郎さんは幾度も東北を訪れ、
各地でチャリティ・ライブを行い、
民謡の調査をしてこられましたが、
このたび、それが
『東北を聴く――民謡の原点を訪ねて』(岩波新書)
という本になり、
その出版記念を兼ねた催しでした。
東北に多くの民謡があるとはいうものの、
民謡という言葉はわりと新しく、
古くから日本人は、
口偏に貝と書いて唄(うた)
といってきました…。
佐々木さんのゆったり、
ゆっくりした語りが心地よく、
合間合間で竹山さんが歌をうたいます。
三味線を弾きます。
アンコールで歌ったのは宮城県の民謡「お立ち酒」
婚礼の席で歌われた。
嫁に行く娘に、
ふたたび実家に戻ってくるなよの意味から、
別れを惜しむ嫁方の人びとが歌いかけ、
酒を酌み交わし、
飲んだ後は酒を入れた茶碗を割ったとされる。
目を閉じて
「お立ち酒」を聴いていました。
三味の伴奏はなく、
竹山さんの声だけがひびき、
渋谷の地下の穴倉のような空間に、
しとしとと、
またしんしんとしみてきます。
やさしく、ふかく。悲しく。
ひとが生れて死ぬまでの
出会いと別れの諸相が浮かび、
色立ち、はじけ、
通い合う情愛の
深深とした味わいが切々と
歌われているようで、
こころの底の底にある悲しさが共鳴し、
鳴っているようでもあります。
ひとりでは生きられないけれど、
ひとがひとにできることもまた多くなく、
ひとり歯がみして立ち、
すすむしかないと、
静かに後押しされるようでもありました。
シンとなり。
でも、その悲しみは、
冷たいものではけしてなく、
どこか懐かしく、
ぬるく溶けてゆくようでもあり、
こうした感じも民謡の、
唄のもつ大きな力かとも思いました。

・耳澄まし我も悲しくぬぐだまる  野衾