本は増える

 

・伊勢佐木町眼鏡屋眼鏡笑ひをり

以前、山村修『遅読のすすめ』を読み、
おもしろかったので、
今度は文庫になった『増補 遅読のすすめ』を。
やっぱりおもしろい。
が、
三橋敏雄の有名な「かもめ来よ~」の句の
“発見”は、
『遅読のすすめ』の山村でなく、
北村薫『詩歌の待ち伏せ』に紹介されていた
須永朝彦の『扇さばき』
にでてくるエピソードであった、
というのが正しい。
わたしの記憶違いでした。
山村は、
「かもめ来よ~」の句の読みを紹介しつつ、
こんなふうに言っている。
「むろん句をつくった三橋敏雄が、
須永朝彦の考えた通りに発想したのかどうか確証はない。
しかし、これはそれこそ気づくか気づかぬかであって、
いったん気づいてしまったら、
ほかの発想はもはや考えられなくなる。」
三橋敏雄がこの句をつくったのは十代のころ。
そのことをふまえ、
山村はさらに想像をたくましくする。
「少年の日の三橋敏雄が、開いた本を手にしながら句をつくる。
須永朝彦が、その句を読みほぐしながら、やはり手もとに開かれた本を、
あらためて水平にして眺めてみる。
その読みを知った北村薫が、手にした本でたしかめてみる。
北村薫の本に教えられた私が、同じことをしてみる。
一つの発見が、こうしてあたかも本から本へ、
白い翼をひろげたかもめが渡るように、私のところまで伝わってくる。」
それを真似し、
わたしも『増補 遅読のすすめ』の
いま読んでいるまさにこのところを開いたまま
目の高さまで持ってくる。
かもめは白い翼をひろげて、
わたしのところまでやってくる。
かもめはやってきて、
本を読むことのよろこびが静かに、
ふつふつと湧いてくるけれど、
それといっしょに、
本を読みたい欲望はさらに湧き、
北村薫『詩歌の待ち伏せ』、
須永朝彦『扇さばき』を注文せずにいられない。
本はこうして増えるのだ。

・幸福は其の予感とぞ合点せり  野衾