驚くと

 

・予報士のけふの陽気を当てにする

根本敬のエッセイ集『電氣菩薩』がむちゃくちゃ面白く、
いまはコレ。
の続きのはなしになりますが、
彼の漫画とエッセイに登場する人物
の発する言葉には、
独特の言い回しがいくつかあり、
そのなかで、
わたしがもっとも気に入っているのが、
「えあ!?」。
驚いたり呆れたりする場面でつかうようなのですが、
ひとり割りと大きな声で試してみると、
顔まで「えあ!?」となり、
なんだかとっても変!
「えあ!?」
になる。
「えっ」でも「なぬっ」でも「ゲッ」でも「ハッ」でもなく、
「えあ!?」。
どうぞ、皆さま、
ぜひ、織田、壊死ください、
いや、お試しください。

・美しきひとを濡らして小雨かな  野衾

根本敬の本

 

・ふるさとの山の笑ふを待ちてをり

漫画家・根本敬のエッセイ集『電氣菩薩』がむちゃくちゃ面白く、いまはコレ。『電氣菩薩』は『因果鉄道の旅』の続編ともいうべきもので、タイトルにあるとおり、因果者たちの織り成す『場』をていねいにつむいで行く。そのプロセスに飛躍がなく、いっしょに歩いていたら、とんでもない処に来てしまっていた、でもそこは、また来る過程で見た起きたもろもろは、世間相場とはちがっていても、そうでしかありえないほどの磁力をもって、そうなっていたのだとしか思えない。
パリ人肉事件が起きたとき、根本の言葉で言えば、「捏造された宇宙人写真における宇宙人の如き佇まいを見た瞬間、衝動的にパッと佐川という人に対して手が伸び、心臓の部分てえか中心をギュッと鷲掴みしてしまった。…「善」も「悪」も、「白」も「黒」も越えているってえか関係ない。…」と思ったものの、「どうしたら良いかは解るはずもなく、それから13年間ただ、ただギュッと握ったままにしているより術はなかった。」
ここのくだりが泣けてくる。だれに甘えることなく、アタマの権威に寄りかからず思考と思索が廻っている、13年間ただ、ただギュッと握ったまま。のちに唐十郎が『佐川君からの手紙』で芥川賞を受賞しても、本屋で本をパラパラめくる程度で、買ってまで読もうとしなかった。なのに、結婚を決めて東京を離れ横浜に住もうと移り住んだら、目と鼻の先にパリ人肉事件の佐川一政が住んでいた! まさに因果であり、ほしであり、『場』なのだ。とにかくこんな面白く、つぎつぎ色んなことを感じさせられ、思わされ、考えさせられる本は久しぶり。ページに漂っている空気感がたまらない。

・春風やかたき蕾のほころべり  野衾

ラジオ宅配便

 

・けるるんの春先取りの陽気かな

弊社の専務は石橋さんで、
この日記に専務イシバシの名でときどき登場する。
加齢臭をカレーの匂いと間違えたり、
全集を禅宗と勘違いしたり、
明恵上人を研究している学者に向かい、
「先生お会いになったのですか?」
と破壊的な質問を投げかけたりと、
わたしだけの笑いの壺に
しまっておくにはもったいなくもあり、
その都度都度に
ご披露してまいりました。
ちなみに、
破壊的な質問をされた宗教学ご専門の先生、
内心はともかく、
外見的には動じることなく
「いえ。明恵は鎌倉時代の人ですから…」
とお答えになった。
前置きが長くなりました。
数日前のこと、
イシバシと昼食をとっていたとき、
彼女の年来の趣味の一つ、
ラジオで聴いて印象に残ったはなしを
ひとくさり聞かされました。
はなしの最初から、
わたしは
ひとつの大きな間違いに気づいてはおりました。
しかし、
いかに長いつきあいとはいえ、
嬉嬉として語る彼女の姿を目の当たりにし、
途中ではなしの腰を折るのは
いかにも無粋と躊躇われた。
と、
そんな当方の思いを知ってか知らずか、
おそらく絶対知らないイシバシは
もうムチャクチャ間違ったまま、
はなしを推し進していきます。
はなしが一段落した頃合を見計らい、
もはやどうにも我慢できなくなったわたしは、
「ラジオ深夜便でしょ。ラジオ宅配便ておかしいでしょ」
イシバシ「あ! あはははは…」
あははははじゃねえし。

↓(写真)イシバシとわたしはこれを食べたーか?

・キヤスターの襟ピンクに変りけり  野衾

デューク・エリントン

 

・おちよぼ口消費増税近づけり

あのスティーヴィー・ワンダーが
「サー・デューク」という歌をつくるほどリスペクトする
デューク・エリントンですが、
これまで、
あまり熱心に聴いてきたわけではありません。
『マネー・ジャングル』は好きでよく聴いたし、
今もときどき聴いています。
だいたいビッグバンドというのが
若いときピンとこなかった。
デューク・エリントンもカウント・ベイシーも
ビッグバンドのレコードが多い。
多すぎる!
『マネー・ジャングル』はビッグバンドでない
ふつうのジャズです。
また、
好きなスペインの画家ジョアン・ミロと
野外を散歩するエリントンの映像が残されており、
野外に設置されたピアノを彼が弾く。
ミロがピアノに寄り添い、
肘をついてそれを聴いている。
ときどき、ふっと、空を見上げ。
その曲が素晴らしい!
エリントンもノッているのがよく分かる。
バーンと鍵盤をつよく弾くときは、
両脚が宙に浮き。
なんともかっこいいのだ。
が、
それはそれとして、
このごろ、
ビッグバンドのものもいいなぁ、
桑田さんが昔どこかで
ビッグバンドの曲を書いてみたい
てなことを言っていたなぁ、
というわけで、
ビッグバンド。
そういうところまできていたのですが、
ついこのあいだ、
映画『アメリカン・ハッスル』のなかで、
重要なアイテムとしてエリントンの
レコードがつかわれていて、
やられちまいました、
はい。
しかも可愛いエイミー・アダムスが
エリントン好きって言うんですからたまりません。
もちろん役の上での話ですが。
というわけで、
きのうはさっそく
会社のBGMとしてデューク・エリントン。
と、
Kさんやってきて、
さっきのはだれですか?
お!
はい。
デューク・エリントン。

・日数なく二月損する気分せり  野衾

ラッキー度

 

・街行けば春の流行闊歩せり

夜中、ふと眼が覚めた。
布団から左手を出し、
ゆっくり半身を起こすようにしながら
右肩横に置いてあるケータイ電話を手に取る。
23時32分。
23:32と表示されている。
トイレに起きる。
布団にもどり、
もう一度ケータイ電話を開く。
23:32。
え!?
え!?
びっくりしたぁ。
前に表示された数字が
一瞬再度表示され、
それから現在時刻が表示される。
なんだ。
そいうこと。
22:22と
どっちがラッキー度が高いだろう。
パチンコならゾロ目だが。
でも鏡像も悪くない。
もういちど寝る。

・今週の予定を記す二月かな  野衾

ファーブルとパストゥール

 

・春近し馬の背から湯気の立つ

これだから本を読むのを止められない。
岩波文庫版『ファーブル昆虫記』第九巻、
こんな文章に出くわした。
「知らないということには、よいことのあるものだ。
踏みならされた道をずっとはなれて、新しい道がみつかるものだ。
わが国の有名な先輩の一人は、
自身ではどんな訓えを私に授けたか、夢にも知らずに、
このことを教えてくれた。
ある日、前触れもなくパストゥールが家のベルを押していた。」
パストゥールは、フランスの著名な生化学者、細菌学者。
かつて教科書で習い、
名前ぐらいは知っていた歴史上の人物が、
不意に現れ本のなかで息づいている…。
パストゥールが
ファーブルの住むアヴィニョン地方の視察に来たのは、
養蚕のためだった。
数年来、
土地の養蚕家は得体の知れぬ厄病の被害を受け困窮していた。
その後、パストゥールは、
養蚕業の害敵である微粒子病、軟化病が
微生物の寄生によるものであることを証明し
予防策まで確立することになるが、
ファーブルを訪ねたときに、
なんと蚕のまゆを知らなかった!
「まゆを見せて貰えませんか。まだ一度も見たことがないのでね。
名前を知っているだけで」とパストゥール。
「お安い御用ですよ」と言って、
ファーブルは彼にまゆを見せる。
それを受け取ったパストゥールは、
珍しそうにまゆを調べている。
耳元で振ってみたり。
カタカタ音がするのに驚いてファーブルにそのことを尋ねる。
パストゥールは、
幼虫がまゆのなかで蛹になり、
変態して蛾になることをこの時点では全く知らない。
そのことを知って驚くファーブルの驚きが、
読んでいるこちらにまで伝わってくる
なんとも愉快な対話がつづく。
ファーブルの驚きを通して
ファーブルがようやく身近に感じられる。
これもまた読書の醍醐味といえるだろう。

・梅が香や詩よりも田をと父が云ふ  野衾

五十歳からの

 

・千年の著者と対話し春を待つ

きのう『トーハン週報』を見ていたら、
『50歳からの名著入門』
という本が目に留まりました。
著者は、
『声に出して読みたい日本語』がブレイクした
明治大学の齋藤孝教授。
教授は一九六〇年生まれの五十代。
このごろテレビで見なくなりました。
どんな本が取り上げられているかといえば、
『徒然草』『福翁自伝』『ホモ・ルーデンス』
『陰翳礼讃』『「いき」の構造』『饗宴』『ゴッホの手紙』
『夜と霧』『死に至る病』『カラマーゾフの兄弟』などなど。
ほかにも、
古典の域に入っている本ばかりで、
なるほどと納得。
このたぐいの本を
取り上げている書物を
読まずに書くわけはないから、
読まずに書いたら偉い!
齋藤さんが
これらの名著をどんな風に読んできたのか、
ちょっと読んでみたくなりました。
『トーハン週報』は、
本の大手取次であるトーハンが
全国の書店向けに出している新刊情報誌。

・書を捨てて書を求めての春近し  野衾