川上先生

 

・朝ぼらけビルの谷間の富士を見ゆ

小学三年生のときの担任の先生から
お手紙をいただきました。
秋田魁新報に掲載された拙文を読んでくださったそうです。
顔を真っ赤にし、大きな体をのけぞらせ、
よく笑う先生でした。
クラスの子どもたちは、
そんな先生が大好きでした。
ときどき、こわ~~~いお話をしてくれました。
いつも明るくにこやかな先生が、
その時だけは沈んだ声で
静かにお話されましたから、
子どもたちはいち早く、
ヤドカリみたいに
それぞれなじみの殻に閉じこもり、
ちょっぴり開いた蓋から顔をのぞかせるようにして、
先生のお話にじっと耳を傾けている具合。
だんだんと教室の空気が冷えていくようです。
なにか起きそう。
なにかが現れそう。
そのときです。
「男が振り向いた! み・た・な!
ギャ~~~!!!
ああ、怖かった。
こわかったよね~~。
「せんせー、こわいよ~~」
先生は、
いつもの先生に戻って、
顔を真っ赤にし、
大きな体をのけぞらせ、
いつものようにのびのび笑っています。
そんな先生が
みんな大好きでした。

・早春のひかりを伝ふ師の手紙  野衾

ぼんやりの空

 

・ぬくぬくと耳まで被る冬帽子

休日、本を読んでいたら、
眠たくなりまして、
そのまま一時間ほど居眠りを。
すーっと眼を覚まし、
ああ、
この感じ。
なつかしく、
不安のようでもあり、
甘えたいような、
ちょっぴり悲しいような。
とじぇねなぁ。
財布を持ち、
きちんとした格好に着替え、
交差点そばの床屋に向かいました。
赤と青のクルクルが止まっています。
休み?
窓から見える部屋の中の電気は灯っているみたいなのだが。
やっぱり休み。
貼り紙がしてありました。
今日から四日間。
旅行にでも行くのか。
とじぇねなぁ。
スケジュールを思い出し、
今度の土曜日、
鍼灸が終ってから来ることにし、
回れ右して交差点を渡ります。
コンビニで豆腐一丁と
バニラアイスクリームを買って帰ろう。
モカでアフォガート。
豆腐はだまっこ鍋の残りの汁に入れれば。
夕闇が迫っています。
鍵を掛けて出なかったので、
そろりとドアを開けました。

・手作りはちょっと待ってとりなぴかな  野衾

ビッグ・バンド

 

・バレンタインひと月もつと見栄を張り

ジャズを聴き始めた学生の頃、
絶対に聴かなかったもの、
それがビッグ・バンド。
カウント・ベイシーもデューク・エリントンも、
バンドものは聴きませんでした。
楽しそうに演っていることに
なじめなかったのだと思います。
深刻そうで、
暗く激しい感じのものを
好んで聴いていた気がします。
ところが、
好みも変るものらしく、
若いころ絶対に聴かなかったものを、
意識してでなく、
なんとなく手に取り、
けっこういいかもなぁ、
なんて思って聴いているうちにハマってしまい、
いつしかどっぷり浸かっている
ことがちょくちょくあります。
村田英雄や三波春夫がそうです。
古い録音の日本の民謡なんて涙が出ます。
そしてこのごろは、
受け付けなかったはずの
ビッグ・バンドのジャズをよく聴いています。
それも楽しんで。
この浮気モノ!ってか。
今は、
輸入物のセットだと安く買えますから
助かります。
デューク・エリントン・アンド・ヒズ・オーケストラ。
やっぱり天才かなぁ。天才だなぁ。
The Complete Columbia Studio Albums Collection 1951-1958
9枚組み3955円。
このごろの愛聴盤です。

・バレンタイン昔はさぁと見栄を張る  野衾

天狗魚

 

・梅白し白く咲かせてひかりかな

夢を見た。
神奈川新聞社のS記者と天狗魚の取材をしにゆく夢。
S記者は、
自転車記者の佐藤氏。
だったら、
佐藤さんでいいようなものですが、
夢の中で、
佐藤さんのプライバシーを慮っているようだったので、
夢に忠実にS記者でいきたいと思います。
ところどころから
湯気を噴き出す地獄谷のような丘を、
S記者は軽快なフットワークで走っていきます。
頭に例のヘルメット。
上半身、裸。
わたしは遅れまいとついていくのですが、
ぼっかり開いた穴が恐ろしくて、
なかなかスピードがでません。
穴の中は、
熟れたイチジクの色をしており、
イソギンチャクをも髣髴とさせます。
S記者はときどき振り返っては、
わたしを待ってくれています。
寺がありました。
その中を通って、目的の沼に向かいます。
寺の中では
十数名ほどの小坊主と青年僧が修行の最中。
体にオーラは感じられません。
沼は寺の敷地内にあり、
S記者は、
パンツ一丁で躊躇することなく沼に入っていきます。
わたしも真似してずぶずぶと。
目の前、
一メートルほどのところに、
深緑色に輝く魚が近づいてきました。
これか。
体つきは鯉に似ている。
デカい。
口から霧のような液体を吐いている。
水に顔を寄せて匂いを嗅ぐと、
臭い。
つい、顔をそむけてしまいます。
魚は大岩の反対側から泳いでくるようです。
と、
S記者が顔を高潮させて戻ってきました。
わかりました!
わかりました!
S記者は、
誇らしげに右手を大きく上げながら、
水をこいでこちらにやってきます。
ははーん。
話を聞く前から、
S記者、
天狗魚と
寺との関係にまつわる黒い噂の真相を
つきとめたのだなと直感しました。

・我がこころ極を歩きて帰り来ぬ  野衾

夜のクジラ

 

・白梅やここ数日の日課なり

朝の二時、
トイレで用を足し、
静かに床についてから
しばらく眼を開けていると、
遠くで、
うぉーんうぉーんうぉーんうぉーん。
何の音だろう。
山の上の家なので、
風の向きによっては山下埠頭辺りからでしょうか、
ぼー、ぼー、ぼー、
と汽笛が聞こえることもありますが、
遥かな国への郷愁を誘うような
あの音とも違います。
うぉーんうぉーんうぉーんうぉーん。
うぉうぉーんうぉうぉーんうぉうぉーんうぉーん。
あれは、
夜のクジラさ。
機械仕掛けの頭をもたげ、
夜のしじまに潮を吹く。
うぉーんうぉーんうぉーんうぉーん。
うぉうぉーんうぉうぉーんうぉうぉーんうぉーん。
暴れクジラが仲間を呼ぶ声さ。

・白梅を見上げ気象を占ひぬ  野衾

分からないことを

 

・チョコ好きや幾日寝ればバレンタイン

これまで自著を三冊出しました。
書いて気が軽くなることがたのしく、
読んでくださった方の感想をきくのがうれしい。
今度の
『マハーヴァギナまたは巫山(ふざん)の夢』の
レビューがアマゾンに載っていますが、
うれしいだけでなく、
いろいろ気づかされ、勉強になります。
勉強は嫌いではありません。
好きというほどでもありませんけれど。
それでこのごろ思うのは、
この日記も
そういう傾向が多分にあると思いますが、
分かったことを書くよりも、
分からないこと、
もっと言えば、
分からないことの所在を確認し、
分からなさにねらいを定め、
だけでなく、
分からなさかげんの感触を固定させずに
そのまま取り出し、
とりあえず置くために、
書いているような、
そんな気が今はします。
そこが話すときとちがっている。
話するほうが分からないまましゃべりだし、
しゃべり終えるようにも思えますが、
しゃべりだすとき、
しゃべっている途中、
しゃべり終えたときに感じるのは、
上手にしゃべることができたかどうか。
ということは、
照らし合わせるものがすでにあるということで、
上手下手のちがいはあっても、
内容はすでにある。
ところが、
書くという行為は、
どうもそうではないような。
どうもそうでは内容な。
これはダジャレ。
どう言ったらいいか。
分かることは、わたしのもの。
しかし、
分からないことは、わたしのものでない。
だから、その分、自由になれる
のかな。
わたしのもの、はつまらない。
わたしのものでないもの、
わたしの分からなさが置かれるでしょうか。
ただ見ている分からない一行が欲しくて、そのために書きます。

・バレンタイン数値気にしてチョコを食ふ  野衾

うれしいメール

 

・雪国のうれしきメール拝みたり

わたしが小学一年生のときの担任は、
伊藤陽子先生でした。
一年間だけのおつきあいでした。
昨年の九月にお亡くなりになり、
先生との思い出を秋田魁新報に書きました。
それを読んでくださった秋田の方から、
会社のパソコンにメールが届きました。
Iさんのお嬢さんが、
伊藤先生のご子息と結婚されており、
朝、
新聞を広げたら、
娘の嫁ぎ先の母のことが記されていて、
驚いたと。
親戚づきあいの中で
先生のお人柄に触れ、
娘をさらに指導して欲しいと願っていた矢先に
悲しい別れをしたこと、
小学一年間の短い間ながら、
印象深く思い出される教育をしたことを、
先生のお人柄を偲びつつ、
共感をもって読んだことを伝えるうれしいメールでした。
お手紙の最後、
会社のことにも触れてくださっており、
温かい励ましをいただきました。
Iさんも高校で教師をされていたとのことです。
秋田魁新報の記事はコチラです。

・白梅や曇天の下ほころべり  野衾