季節の花

 

・はらほろとさくらはらほろ金貨かな

この日記の下に写真を一枚掲載していますが、
このごろは花の写真が多くなりました。
今は桜ですが、
街を歩きながらしょっちゅう立ち止まります。
先日亜細亜大学を訪ねた折、
打ち合わせが終ったあとで、
M先生がスタジオジブリを見に連れて行ってくれました。
大学から歩いて数分のところにありました。
ジブリがあっておかしくない、
むしろ相応しい田園風景が広がっています。
散歩にはもってこいです。
M先生は、
家から自転車で大学へ通っておられますが、
朝は朝で五時半に起き、
毎日散歩されるのだとか。
M先生の案内で歩いていたとき、
小さな公園の横に桜の木が数本ありました。
大きい桜の木もいいですが、
小さい木も悪くありません。
「先生、ちょっと待ってください」
鞄をがさごそさせ携帯電話を取り出してパチリ。
「小ぶりな桜もいいですね」と先生。
きのうの写真がそれです。
今日も花の写真です。

・まちがへて汗ぐつしよりの帰宅かな  野衾

写真のリアリティ

 

・六本木春は名のみの寒さかな

六本木のZen Foto Galleryで開催されている
「瞽女 Goze 橋本照嵩写真展」に行ってきました。
四十年ぶりの新プリントによる写真展です。
展示販売もしており、
フレーム付き四万二千円の写真が十五枚、
売約済みになっていました。
ギャラリーに流れる瞽女唄の調べに身を任せながら、
一点一点ゆっくり見ていきます。
はやく見てはいけません。
ゆっくりゆっくり。
繰り返し繰り返し。
瞽女唄と響きあい、
写真に撮られた瞽女さんたちの哄笑が聴こえてくるようです。
閉店間近、
カップルの外国人が入ってき、
橋本さんに日本語で質問していました。
ほぼ四十年前に撮られた写真なのに、
それほど昔のことではないのに、
今の日本とずいぶん違うことに驚いたようです。
高度経済成長が叫ばれている時代に、
目の見えない瞽女さんたちがひっそりと
東北の村村を訪ね
弾き語りをした音と姿が、
「くさい」臭いとなって迫ってきます。
橋本さんが『瞽女』で日本写真協会新人賞を受賞したとき、
「臭ってくる」「電話帳」のような写真集と
木村伊兵衛が絶賛した
その「臭い」が、
震災後の日本の空を晴らしてくれるようです。

拙著『マハーヴァギナまたは巫山(ふざん)の夢』の書評が、
今週号の「週刊読書人」に掲載されました。
有り難し!
書評してくださったのは、
東京大学准教授・英米文学専攻の阿部公彦氏。
コチラです。

・はらはらと鞄のなかへ桜かな  野衾

大安

 

・黒黒と幹太くして桜かな

今日は大安です。
大安とは、
万事において事をなすのによいとされる日。
大安吉日。
以前わたしが勤めていた東京の出版社では、
本の奥付に記載する刊行日を
大安の日付にするのが慣例でした。
そのことを教えられていたはずなのに、
忘れたのか、
軽くみていたのか、
大安の日でない日にちのまま、
版下を印刷所に渡したことがありました。
出来上がってきた本を開いて見た社長が
奥付のページを凝視すること二、三秒、
やがてこっぴどく叱られ、
やり直しを命じられました。
大安の文字を目にすると、
それをなつかしく思い出します。
春風社では、
他の社員には指示していませんので分かりませんが、
わたし自身は、
気分によって、
大安にしたりしなかったり。
大安にしなかったから本が売れなかったり、
誤植の多い本が出来てしまった、
などということは今のところないようです。
今は基本的に、
大安仏滅関係なく
本が売れない時代です。

・道道の畠途切れて桜かな  野衾

 

・きのふ七分けふ満開の桜かな

週に一度、
気が向いたら二度、三度、
秋田の実家へ電話します。
用のあるときもあれば、
用のないときもあります。
用のないときのほうが多いかもしれません。
きのうは、
とくに用はなかったのですが、
夕刻、
保土ヶ谷駅から御殿山へ歩く道道
電話をかけました。
とっくに夕飯を終えた母は寝床で電話に出、
父は風呂に入っていました。
「いっちに、まま食たてがは? はえな!」
「あや。よごなて、テレビ見でだもの」
母の声は、
しめっておらず、
ということは、
腰の痛みはそれほどひどくないのかと思いました。
声の質を聴くために電話をします。
だから、とくに用はなくていいのです。
めりはりや声の弾み具合を聴くと、
医者でなくてもおおよその体調は分かります。
母も、
わたしの声をそういう風に聴くのでしょう。

・薄曇りそこここ煙る桜かな  野衾

ひとり愉しむ

 

・花曇り日曜の部屋文を読む

本を読むたのしさはいろいろですが、
ずばり一番は、
読みながら、
読んでいる場面を想像したり、
登場人物のこころの動きを思い浮かべたり、
また、
だれに教わるでもなく、
へ~、
こんなことが書いてあったのかと気がつく、
そういうところではないでしょうか。
この場合、
情報を得るための本ではありません。
ひとり愉しむ。
たのしんだあとで、
人に少々、
ときどき大げさに自慢したり、
余裕をかまして
自慢のこころを抑え、
いま流行りの
ソーシャルリーディングに参加することも
たのしくないことはありませんが、
人と話すと
どうしてもこころがざわつき、
みずからを誇りたい気持ちがもたげてきます。
だから、
しゃべらないのが一番かもしれません。
でも、
ついついしゃべってしまいます。

・花粉飛ぶ外眺めつつラスク食ぶ  野衾

ザーラ・イマーエワさん

 

・花一輪磁場の少なきうつつかな

先月、弊社から
作家の姜信子(きょう・のぶこ)さんと、
アゼルバイジャン在住のチェチェン人映像作家ザーラ・イマーエワさん
との対談集『旅する対話 ディアスポラ・戦争・再生』
を出版しましたが、
この度、ザーラさん、作家の田口ランディさん、
ジャーナリストの林克明さんを交え
戦争と平和についての鼎談が行われることになりました。
ザーラさんは、
1999年のロシア軍によるチェチェン進攻の際、
同胞を率いてアゼルバイジャンに逃れました。
ディアスポラ(流転と離散)を身をもって体験された方です。
3.11後の日本の状況が
ザーラさんにはどのように映るのか、
またひるがえって、
わたしたちがどこに立っているのかを知るための
貴重なお話が聞けそうです。

日時:3月31日(日)
場所:高円寺コモンズ(杉並区高円寺南3-66-3)
参加費:1500円
申し込み・問い合わせ:wildfrances@gmail.com

・外つ国に滑り戻れず桜かな  野衾

源氏物語と風

 

・境内にこころ鎮めて春の闇

引きつづき源氏物語を読んでいますが、
このごろ風に関する記述に目が行きます。
千年前の京都。
コンクリートも鉄骨もない。
現代でも、
台風は言うに及ばず、
そうでなくても風の音は千変万化します。
風の名称が日本語には多いはず。
平安朝のころとなれば、
夜の闇とあわせ、
それはそれは不気味に変化したと思われます。
そこに男が忍んで来る。
ハラハラドキドキは、
恋のおののきと一体となって否が応でも揺らめく。
男たちはまた、
そうした時をねらって外出を試みる。
源氏物語を彩る女たちの情念を下支えし、
ときに盛り上げ、
ときに撓め、
ついには怨霊となって出没しかねまじき
苦へと収斂させるのは、
風の存在ではないかと思えてきます。

・寄りて来しぬるり冷たき鹿の鼻  野衾