想念の棺桶

 

・息荒く階段上る春日かな

『マハーヴァギナまたは巫山(ふざん)の夢』
の原稿を担当編集者に渡すとき、
棺桶のような本を作って欲しいと頼みました。
いま生きて原稿を書いている人の本も
読むことは読みますが、
多くは鬼籍に入られた人の本です。
そうすると、
本は、
薄手のものから厚手のものまで、
棺桶の箱に見えてきます。
そういう見え方も、
一つの想念かもしれません。
子どものころから夢を多く見、
覚めているときも、
一つのものをじっと見ていると、
変な気がしてきて、
それを面白く感じていたわけでも
ないと思いますが、
なんとなくそのままじっと見ていた。
なにか
ほかのものが出てきたり、
ほかのものに変わってしまう、
とでも思っていたのでしょうか。
昔のことでよく分かりません。
何を見ていたのか、
今となっては分かりませんが、
そんな時、
亡くなった祖母に叱られました。
気が違うとでも思ったのでしょうか。
拙著を読んでくださった方の感想に、
「想念」という言葉がよく使われており、
それは、
こしらえものの小説を超え、
わたしのありようなのかなと思ったり。
二月三日の神奈川新聞に、
書評が掲載されました。
コチラです。
想念に身を委ねて…。

・今日だけは気掛かりも無し春の空  野衾