マッチ

 

 一葉ずつ露の宝石ならびをり

こんな夢を見ました。
体育館のような(体育館だったかもしれません)
広い場所に、
大勢の若い男女がたむろし、
ワイワイガヤガヤ、
今や遅しと何かを待っているようなのです。
ふと見たら、
そこに近藤真彦、マッチがいました。
すぐそばに居ましたから、
間違いようがありません。
わたしは、ちょっと驚きましたが、
周りの人は、気づいているのか、いないのか、
あ、マッチだ!マッチだ!
なんてことはありません。
そんな周囲の反応をマッチはどう思ったでしょう。
少し面白くなかったのかもしれません。
つぎの瞬間、
マッチがいきなり、バック転を始めました。
一回、二回、三回、
後方へ勢いよく回転していき、
最後にパッと手を離し、
バック宙をしたかと思ったら床に両足がバンと着き、
その瞬間、マッチの頭から何かがパカッ!
と外れました。
一瞬のことでした。
え!? え!? ま、まさか!?
マッチは、サッと手を伸ばし、
その物体をクッと頭にのせ、押さえつけ、
何事もなかったかのように、
また人びとの群れにまぎれてしまいました。

 山煙り白露きらら輝けり

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読書フォーラム

・左より秋風吹いてやらとかな

一昨日、県と県議会と秋田魁新報が主催する
読書フォーラム秋田2010」に
パネリストとして参加してきました。
主催者側の発表によれば、
450名ほどの参加があったようです。
基調講演は椎名誠さん。
「読むということ、書くということ」がテーマでしたが、
椎名さんは、読むことと書くことの間に
「行くこと」があるとし、
これまでの旅の経験を
笑いを交えながら面白く聞かせてくれました。
90分がアッという間。
さすがでした。
講演後も、アドバイザーとして
ディスカッションに加わってくださいましたが、
会の最後、
「電子教科書」に話が及んだとき、
椎名さんから、
利便性なんかじゃなくて
もうけの論理が支配しているのでは
という指摘がありましたが、
我が意を得たりと思いました。
恩恵より被害のほうが多いのではないでしょうか。
犠牲になるのは子どもです。

・ダマッコやナマスコ添えて食しけり

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記憶の蔵

 

 新刊のインク匂ひし秋の風

東京都文京区の谷根千〈記憶の蔵〉にて開催されている
矢萩多聞展2010」に行ってきました。
千駄木の駅から歩きましたが、
おもしろそうな路地、お店に
目をキョロキョロしてしまいます。
会場の〈記憶の蔵〉はその名のとおり、
どこか懐かしい佇まいを見せ、
居るだけで気持ちのいい場所でした。
多聞さんの絵は、相変わらず細密で
物語性の強い楽しいものですが、
今までと違うなと感じられるものもありました。
どこから来てどこへ向かうのか、
ますます楽しみです。
夜はオープニング・パーティー。
御徒町にある南インド料理のお店
アーンドラ・キッチンのシェフが作った美食を、
インドの地ビールキング・フィッシャーといっしょに堪能。
時間を忘れるほどでした。
19日までの開催です。

 読むでなく捲る頁の秋澄めり

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APEC

 

 身に入みて友と語らふ夕べかな

来月七日から開催されるAPEC首脳・閣僚会議のため、
全国から警察官が集まり警備にあたっています。
桜木町駅近辺は東北ブロックが担当なのか、
おとといは青森、きのうは山形、
今日は秋田といった具合です。
名札をしているのですぐに分かります。
仕事帰りにふと見ると、
青森から来た警官二人が並んで、
みなとみらいの大観覧車を眺めていました。
忙中閑有といったところでしょうか。
横浜駅の改札では、
ちゃらそうなお兄さんが
岩手県の警官四人に取り囲まれていました。
一人二人ならいざ知らず、
四人の警官に囲まれると、
いかにも極悪人が捕まっているという感じがしましたが、
なんのことはない、
職務質問をされているようでした。
ちゃらそうなお兄さん、
ちょっとかわいそうなくらいでした。
あんなに大勢の警官、どこに寝泊りしているんでしょう?
一泊いくらぐらいなんでしょう?
池上彰さんなら知っているでしょうか?

 カウンター皿の鮟鱇笑ひをり

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武塙三山

 

 あはれ蚊や薬缶頭に停まりをり

わたしのふるさと秋田県井川町の先達に、
武塙三山という人がいます。
三山は雅号、本名は祐吉です。
わたしの実家から歩いて五分ほどのところに
三山を顕彰する碑が立っています。
三山は生前七冊の本を著しましたが、
古書店で求め、今、次つぎ読んでいます。
淡々とした記述の中に、
汲めども尽きぬ味わいがあります。
こういう文章を読むと、
「文は人なり」の言葉が思い浮かびます。
三山についての拙稿が、
10月11日付の『秋田魁新報』に掲載されました。
興味のある方はどうぞ。
コチラです。

 朝眺め夜も眺めし薄かな

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写真:橋本照嵩

あはれ蚊

 

 蟷螂の三角面のかたぶきぬ

床屋に行ったら季節外れの蚊が一匹飛んでいました。
バリカンのブーンという音に消され、
羽音までは聞こえませんが、
たしかに飛んでいます。
床屋のご主人、
バリカンでわたしの頭を刈りながら、
片手で蚊を捕まえようとしますが、
季節外れのわりにはすばしっこく、
なかなか捕まりません。
わたしは椅子の上でジッとしたまま、
目で蚊とご主人の手の攻防を追いかけました。
途中、予約の電話が入ったりして、
一時休戦状態になり、
いつの間にか蚊は目の前から姿を消しました。
かと思いきや、
わたしの額上部左側にはたと停まりました。
もしやご主人?
まさか…。(汗)
と、
次の瞬間、
パチン!
あ!
あ!
つぶしましたか?
つぶしました。
ご主人、心なしか勝ち誇ったような物言いです。
それから、
あはれ蚊のことは一切話題にならず、
わたしは顔を剃ってもらい、
頭をシャンプーしてもらい、
お代を払って店を後にしました。

 蟷螂や片目ふさぎて顔洗ふ

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公共する人間

 

 し残してきたことなきか秋の朝

二〇〇八年一〇月、
第八五回公共哲学京都フォーラム
「新井奥邃と公共人間」が三日間にわたり新宿で行われた。
『新井奥邃著作集』の版元の人間として
何か話してくれとわたしも声を掛けられ、
発題者の一人として、
出版に至るまでの経緯について申し上げた。
そのときの内容とディスカッションを踏まえ、
このたび東京大学出版会から、
『公共する人間5 新井奥邃』が刊行された。
出版会の竹中さんが二冊送ってくださった。
『著作集』を出したものの、
売れ行きがはかばかしくなく、
どうなるものかと危ぶんだ十年前のことを思えば、
隔世の感がある。
まだパラパラとしかめくっていないが、
やはりと感じたことがある。
それはコール ダニエル先生の力が与って、
こういう形にまとまったということだ。
「はじめに」の簡にして要を得た記述、
「公共する人間」のテーマに沿った語録抄、
『著作集』を踏まえさらに精査した年表と参考文献、
どれをとっても、
眼を吸い寄せられるグリップの強さを感じた。
この本が今後、
日本の行く末を真摯に考える人にとって、
大きな里程標になることは間違いない。
この本にひかれ、
『著作集』をひもとく人が一人でも増えることを
版元としては願っている。

 快と悔い身に入む頃となりにけり

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