本の自炊

 

 水溜りに黄色い月の揺れてをり

ふつうの自炊なら知っていますが、
本の自炊があることを知りませんでした。
読み終って処分に困る本を断裁し、
スキャンし、
パソコン等で読めるようにした後に、
ばらした本を捨てるのだそうです。
ネットで調べたら、
これを業としてやっている会社もあるようです。
自炊というぐらいですから、
もちろん自分でしこしこやる人もいます。
わからないでもありませんが、
これってなんだか、
かさばるレコードをしこしことテープに録音し、
元のレコードは古レコード店に売る
みたいな印象があります。
結局そんなことしたって、
録音したテープは、
さほど聴かずじまいになるのにね。
今はなんだか、
モノを持たないのが流行りで、
持つのはダサイみたいな風潮があるようです。
電子書籍も幾分、
その流れにあるのではないでしょうか。
何千冊の本がコレに入っていて、
好きなときにいつでも取り出して読める、
みたいなことがかっこいいと思っているのでしょう。
それはそうかもしれないけれど、
紙であろうが液晶画面であろうが、
機械が本を読んで、
そのエキスが頭と心に自動的に注入される
(そういうものがあったら欲しい!)ならともかく、
どんな機械が出てきても、
眠い眼をこすりこすり読むのは
やっぱりこちら側の人間で、
いくら速読の人でも
『失われた時を求めて』や『大菩薩峠』や『聖書』を
一時間では読めません。
読んだって意味はありません、
と思います。
この頃の風潮は、
そういうことをちょっと錯覚してるようです。
させられているのかな?

 名物と詠わる男鹿のブリコかな

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