Archives : 9月, 2010

伊勢佐木書林

 

 十和田湖や無音の朝を月過ぎぬ

高校の教師を辞め、
東京の出版社に勤めようとしたとき、
大量の本を売りました。
二十三年前のことです。
伊勢佐木町のオデオンの六階に
先生堂という古書店があり、
そこの人が車で引き取りに来てくれました。
二年前、また大量の本を売ることに決め、
先生堂に電話したところ、
すでに店は無くなっていました。
ところが、
そこに勤めていた方が独立し、
新たに古書店を起こしたと知り、
もしやと思い連絡してみたところ、
二十三年前、わたしの本を引き取りにきた方で、
飯田さんといいます。
わたしの名前まで憶えていました。
大量の本を彼に売り、
そのお代はボルダーのプリアンプに化けました。
昨日、
昼の食事がてら、訪ねてみました。
お客さんが数名、棚差しの本の背文字を眺めています。
わたしの顔を見、
いたずらっ子のように、はにかみながら、
「三浦さんの本、アマゾンで買って読みましたよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「とくに前に勤めていた会社が倒産し、
どうしようというあたり、
ドキドキしながら読みました」
「…………」
「二百三十円になります」
本をカウンターに差し出した人がいて、
飯田さんとの会話は途切れました。
お客さんが離れた後で、
隣にいた奥さんを紹介してくれました。
わたしは、菅江真澄の随筆集を買い、
外へ出ました。
飯田さんは本好きの人です。
関内のほうから伊勢佐木町に入り歩いていくと、
間もなく左手に有隣堂本店が見えてきます。
そこを越え、さらに歩くこと二分、
右手に伊勢佐木書林はあります。
本好きの方は、ぜひ立ち寄ってみてください。
すてきな古本屋さんです。

 秋待つや湖面に吸はる瞰湖台

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引揚げ

 

 秋澄むや伽藍の空に烏鳴く

引地ユリさんをインタビューしてきました。
引地さんは、
1929年樺太(今のサハリン)に生まれました。
かの地で敗戦を迎え、
危ない目に遭いながらもなんとか日本に帰り着き、
看護婦の資格を得ました。
その後、横浜市立保土ヶ谷中学校を皮切りに
中学校の養護教諭として、
三十三年間勤め上げた人です。
引地さんの実践は1986年に
『かげぼうしのつぶやき』として出版されましたが、
今も多くの人に読みつがれています。
とくに彼女の性教育には定評があり、
生徒だけでなく、
父母や教師から熱烈な支持を受け、
八十歳を超えた現在も講演行脚に全国を飛び回っています。
今回ウチが出版するのは、
ユニークな“引地教育”に至る根を形成したと思われる
敗戦から引揚げの体験をまとめる本です。
引地さんの生徒とのかかわりの根本が、
人間の醜さと尊さを体得した引揚げ体験にあったことが、
インタビューを通じて明らかになったと思います。
『先生、いのちのことを教えて 引揚げから養護教諭へ』
といった中身になるはずです。

 岩手山ひかりの粒の秋澄めり

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トンネルを抜けると

 

 深秋や真澄見上げし滝の落つ

近所のひかりちゃんりなちゃんちの車に乗せてもらい、
秋田へ行ってまいりました。
秋分の日、
横浜は朝から汗ばむほどの暑さでしたが、
常磐道から東北道を北上するにつれ、
外気温を示す表示が20度、18度、14度と下がり、
どこまで下がれば気がすむのと見ていたら、
なんと12度まで下がったではありませんか。
トンネルを境にして、
夏から一気に秋を素通りして冬へ突入したみたい。
三泊四日で秋田を楽しみ、
帰ってきたら横浜も秋になっていて、
四次元を旅したような変な気になりました。

 友来り言ひし先より秋深し

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菅江真澄

 

 奥入瀬や橡の実拾ふ子らの声

わたしがまだ高校生の時に、
江戸時代の紀行家・菅江真澄について
話してくれた国語の先生がいました。
先生の名前を失念してしまいましたが、
真澄のファンだったのか、
文章を音読してくださった後、
シーンとなった教室で、
凡そ次のようなことを話されたと記憶しています。
きみたちに今、菅江真澄の好さを判れ
と言っても無理かもしれない。
しかし、歳をとり、いろいろ経験した後で、
そういえば高校の国語の教師が菅江真澄について
なにか言っていたなーと
思い出すことがもしあったら、
そのときに真澄の文章を読んでみるといい。
きっとその好さがしみじみ判ってくるだろう…。
この連休を利用し、秋田へ帰省した折、
足を伸ばして三十数年ぶりに十和田湖を訪れました。
紅葉前のこととて、客は少なく、
しかし幻想的な湖畔のたたずまいと
奥入瀬の音と木立からもれてふりそそぐ光は
五感を通して深く染み入り、
ほうとため息の出ることしばしばでした。
二百年前、
この地へも真澄が徒歩で訪れたことを知り、
高校時代に習った先生の静かな語りを思い出しました。
秋田に帰った翌朝、
秋田魁新報に菅江真澄研究会創立三十周年の記事が
大きく取り上げられていました。
平凡社の東洋文庫に『菅江真澄遊覧記』が入っています。

 暮れ泥む秋の湖畔の乙女の像

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五十年後

 

 修善寺は蕎麦の値段が高いよね

昨日、面接を行いました。
出版業はもうからない。よって、
おカネだけを考えたらやっていけない商売だよ、
ということを、社を受けに来た人に話しました。
おカネだけを考えてする商売でないとすれば、
何を考えてする商売なのか?
たとえば、それは、
生きがいであり、やりがいであり、夢です。
春風社の柱である『新井奥邃著作集』ですが、
新井奥邃について知っている人が今のところ、
ほとんどいません。
新井奥邃と書いて、あらいおうすいと読みます。
そこで、わたしの夢は、
今から五十年後、
日本史の教科書に新井奥邃の名前が載ることだ、
なんてことを、
受験者相手につい、口走ってしまいました。
五十年後といえば、
わたしは生きていないだろう、
でも、
生きていない時代のことを夢見てわたしは仕事をしているのだ、
と啖呵をきりました。く~っ!!
すると、
それをそばで聞いていた編集長ナイ2が、
五十年後だとシャチョーまだ生きていますよ、
なんておだてるものだから、
え!? そうかな、
だって、いま五十二歳だから、
五十年後というと一〇二歳になっているよ。
無理無理。無理でしょ。ぜったい無理!
いやあ、シャチョーのことだから、
それぐらいまでは大丈夫でしょ。
そうかな?
そうですよ。
教科書に載ったら、
ぼくがそれを持ってシャチョーに届けに行きますよ。
お。ありがとう!
うれしいことを言ってくれるねー!
いえ。それほどでも…。
ところで、おれが一〇二歳として、
そのとき君はいくつだ?
八十六歳。
八十六歳か?
君もずいぶん歳とっちゃうね…。
なんてことで、
話がだんだん、あらぬ方向へ逸れていくのでありました。
それはともかく。
新井奥邃のことでした。
教科書にその名前が載るのは、
はるか五十年後だとしても、
先月刊行された『田中正造と民衆思想の継承』(七つ森書館)を開くと、
新井奥邃と田中正造の関係について、
一章設けられていました。
そこに、
「近年、田中正造と思想・信仰上の無二の友として
注目されるようになり、
奥邃研究者の工藤正三、コール・ダニエル両氏の絶大な努力で、
二〇〇〇年から二〇〇六年にかけて
『新井奥邃著作集』全一〇巻が刊行され、
研究の基礎資料がととのった」と、ありました。
著者は、哲学者の花崎皋平(はなざき こうへい)さんです。
来月は、東大出版会からも
新井奥邃に関する新刊が出ることになっています。
五十年後を夢見て、今日も頑張ります。

 漱石の修善寺清し山葵かな
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*あさって24日は、都合により「よもやま」をお休みします。

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三浦衛(みうら・まもる) 春風社代表にして自慢大王&悪ノリ大王。体調のいいときは自らを天才と称し、不調の折はちりあくたにも劣るヤツとしょんぼり。

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三浦衛の本


『カメレオン』
 三人ときどき声にならぬ声を洩らし/とろけ とろけ 唾までとばし/クヂるとナメるとネヂるとチョす…(「鳶」) 自在に色を変え、不意に突き刺さる、軽妙なことばの戯れ。秋田方言満載の詩集。本文は金属活字による活版印刷。


『マハーヴァギナまたは巫山の夢』
 三平佐世夫は、千一夜の夢うつつで女と戯れ、印度に旅し、睾丸を抜かれ、鰐を飼い、横浜を彷徨う。言語の崖っぷちを綱渡りする、めくるめく冒険。本文活版印刷に美麗造本を施した平成の大奇書。


『父のふるさと』
 父の目に映じた故郷の風土、ひと、くらし、農事を、愛惜をこめ描きだす。本文は金属活字による活版印刷。「身と蓋函」に納める。


『出版は風まかせ』
 横浜の出版社「春風社」社長が本づくりと会社経営にまつわるエピソードを豊富におりまぜ、創業から10年を振り返る。