収穫期

 

 稲刈りの父の姿の頼もしき

わたしが編集した本が昨日、二冊同時にできてきました。
『実感から関係化へ ある重度重複障害者と関わって』
『新版 教師養成教育の探究』
上は、
ある重度重複障害者と二十年にわたって関わり、
その過程で見えてきたこと、
学んだことを謙虚に静かに記しています。
人と関わるとはどういうことか、
そのことを真摯に問いかけた本です。
下は、
三十年以上前に出た本の新版です。
引用されることの多い本ですが、
手に入りにくくなっていました。
最初出版された当時、
非常に批判され、
ひどい場合は非難されもしたそうです。
批判や非難の要点は、
戦前の師範学校教育に戻すつもりか、というものでした。
教師というのは、養成しなくても、
学問をすれば自然と立派な教師はできる、
という信仰に近い反省があったのかもしれません。
ところが現在どうでしょう。
教育の荒廃が叫ばれ、
学校に未来はないとまで言われる時代です。
時代がこの本に追いついた
といっても過言ではありません。
この本には、
学問と実践のせめぎ合いの中で、
なんとしてでも子どものたましいの世話をする
プロの教師を養成するのだという気迫
みたいなものが感じられます。
若き日の著者みずから、
大学に籍を置きながらそこに安住せず、
さまざまに自己を鍛錬しているその姿に
感動すら覚えます。
新書のようにサッとは読めないかもしれませんが、
どちらも、ゆっくり、
じっくり読んでほしい本です。

 連山の下点となりて稲を刈る

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