公共する人間

 

 し残してきたことなきか秋の朝

二〇〇八年一〇月、
第八五回公共哲学京都フォーラム
「新井奥邃と公共人間」が三日間にわたり新宿で行われた。
『新井奥邃著作集』の版元の人間として
何か話してくれとわたしも声を掛けられ、
発題者の一人として、
出版に至るまでの経緯について申し上げた。
そのときの内容とディスカッションを踏まえ、
このたび東京大学出版会から、
『公共する人間5 新井奥邃』が刊行された。
出版会の竹中さんが二冊送ってくださった。
『著作集』を出したものの、
売れ行きがはかばかしくなく、
どうなるものかと危ぶんだ十年前のことを思えば、
隔世の感がある。
まだパラパラとしかめくっていないが、
やはりと感じたことがある。
それはコール ダニエル先生の力が与って、
こういう形にまとまったということだ。
「はじめに」の簡にして要を得た記述、
「公共する人間」のテーマに沿った語録抄、
『著作集』を踏まえさらに精査した年表と参考文献、
どれをとっても、
眼を吸い寄せられるグリップの強さを感じた。
この本が今後、
日本の行く末を真摯に考える人にとって、
大きな里程標になることは間違いない。
この本にひかれ、
『著作集』をひもとく人が一人でも増えることを
版元としては願っている。

 快と悔い身に入む頃となりにけり

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