木の気

 一言で凍りつくかとタラバガニ
ダジャレみたいですが、
木々が発する良い気というのがあるのでしょう。
わたしの住んでいる山の上に公園がありまして、
晴れた日には富士山が見えます。
その公園の辺りの木、草の色、香り、勢いは
ただ事ではありません。
つい見とれ、だれに言うでもなく、
気持ちいいなぁ
ひとりごちてみたり。
気場ということばがありますが、
周りに遮るものがなく、
お天道さまの御霊をいっぱい浴びて
木々たちは、今日も葉裏を白く輝かせています。
 初夏の風わたしは二度と戻れない

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夏到来

 あかね空に高速道路吸い込まる
昼、この頃いつも行くお店で
焼き魚定食を食べていたら、
ひたいに汗がにじんできました。
急いでハンカチを取り出して汗をふき、
二杯目のご飯に箸をつけ、程なく完食。
本日も美味しゅうございました。
外へでると、カッ!
思わず、目を細めてしまいました。
けさ、いつものように
Steven HalpernのChakra SuiteのCDを掛け
気功をしていたら、
また汗がにじんできました。
いよいよ本格的な夏の到来です。
(梅雨はどこへ行った?)
 猫の耳飛んでいるかと蚊喰い鳥

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無意識さん

 ぶらんこを押してこころの揺れてをり
自分で書く文章のことですが、
こういうことを書こう、書かなければいけない
と思って書き始めたものの、
サッと最後まで書けるときもあれば、
途中で停まってしまって、
うんともすんとも動かなくなるときもあります。
そういうときは、だいたい放っておくことにしています。
あの停まってしまう感じというのは、
ちょっとパソコンのフリーズ状態に似ています。
焦っていろいろやると、
もうどうしようもなくなり、完璧に固まって
強制終了せざるを得なくなりしますが、
しばらく放っておくと、
サクサクッと快適に動いたりするんですよね。
書き物で停まったときも、
さわらないで放っておいているうちに
フリーズが融けたみたいに
思考がすすみ、ことばが浮かぶことがあります。
ふだん考えもしなかったことばが
スッと浮かんだりすると、うれしくなります。
なので、フリーズも大事かなとこのごろ思います。
フリーズすることをいとわずに、
むしろ歓迎のこころもちでいると
そのうち無意識さんがはたらいて、
いい方向を示してくれるようなのです。
文章だけでない気もします。
 どれくらい押してぶらんこ雲に乗れ

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グランとオーシャン

 若乳房(ちち)の揺れて夏日となりにけり
友人で料理人の渡邊泰義(わたなべ やすよし)さん
(通称ナベちゃん)が保土ヶ谷にお店を出したことを
先日ここに書きました。
お店の名前が、グランブルー。
ところで、
昼、このごろわたしは、もっぱら濱乃井さんを訪ねています。
そこでひたすら焼き魚定食をいただいています。
イカの塩辛もこたえられません。
その横に、
お店が出来ました。こちらは、オーシャンブルー。
きのうがオープンの日で、
焼き魚定食を食べた後、帰りしな、
中を覗かせてもらいました。
ワインやビールを出してくれるオシャレなお店です。
ママさんはお花の先生でもありますから、
お店にあわせた花がアレンジされていました。
今度、仕事帰りに寄らせていただこうと思います。
 グランブルー鰆ムニエル野菜添え

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こころの形、本への愛着

 五月帰郷父のうなじの白髪かな
このごろときどき、
本てどういうものかなあと考えることがあります。
自分で本をあまり買わなくなっているのに、
一方では、本を作って売ることを考え、
売れ行きがどうとか、日々、頭を悩ましているわけです。
こういうの、矛盾というんでしょうね。
パソコンが日進月歩で便利になり、
わたしみたいな機械音痴でも、
パソコンに触らぬ日はありません。
それじゃあ、本はすべてパソコンに
取って代わられるかといえば、
必ずしもそうとばかりは言えないのじゃないかと、
出版社の人間としては、願いも込めて、
思うわけです。
ひとつキーワードは愛着心だと思うわけですね。
執着心といってもいいかもしれません。
たとえば、なにかのきっかけで一冊の本を読んだとします。
読む前は、まだ内容を知りませんから、
タイトルやデザインや帯の惹句に
引かれてのことかもしれません。
それが、一旦読み終わったとなると、
なんだか読む前とちがって感じられてきます。
感じられませんか?
同じ本なのに、
そのなかに今の自分の感情や感動や悩みや願い、
ひとことで言って
こころが封じ込められているような気がし、
撫でさすりたいような気持ちになります。
こころにさわることはできないけれど、
面白く、感動して、考えながら、読んだ本に
読後さわってみると、
自分のこころに触れたような錯覚に陥ります。
こんな物言いは感傷的にすぎるのかもしれません。
しかし、人間はそれほど
合理的な生き物でしょうか。
パソコン(ケータイ)で何か面白く、
感動し、考えながら読んだとして、
読後パソコン(ケータイ)を撫でさすりたくなるか
といえば、疑問です。
パソコン画面(ケータイ画面)で読み、
愛着のこころを投影する何物もないほうが
潔いのかもしれませんが、
やはりちょとさびしい気もします。
格好をつけていえば、不合理ゆえに本を読む、
こういうことかなあと、このごろ思います。
と、つらつら思ったりしますが、
パソコンやケータイを撫でさする人がいても
全然おかしくないし、
それが一般的になる日が来るのかなあ。
ひょっとして、もはやそうなっているとか。
 田の蛙夜通し鳴くか五月帰郷

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二人の剣士

 老狸緑拝みて斃れしか
テレビをつけたら、
ジャイアンツの小笠原道大(みちひろ)選手が
特集されていました。
千葉県の暁星国際高校からNTT関東を経、
1996年ドラフト3位で日本ハムファイターズに入団。
天才打者として鳴り物入りでプロ野球界に登場し、
その後もメジャーリーグで華々しい活躍を
見せてくれているイチロー選手とは対照的に、
学生時代は目立たず、その後、社会人野球に転じ、
プロ野球選手になってからも、初めは、
目立った成績を残せなかったのだとか。
天才肌というより、愚直なぐらいの努力、努力の人です。
(もちろんイチローも、人一倍努力の人です)
バットを持ったときの小笠原の目つき顔つきを見てください。
あれはアスリートの顔ではなく、
剣士の顔ではないでしょうか。
特集番組の中で、
かれが何度か口にした言葉がありました。
それは、「中途半端だけは嫌ですから」。
野球の練習で、トスバッティングというのがあります。
選手のそば2、3メートルぐらいから助手がボールをトスして
フォームを整えゆっくりとボールを打ちます。
小笠原選手は、ボール半分ずれてもバットを振らない。
たかがトスバッティングとはいえ、
小笠原選手にとっては真剣勝負そのもの。
「やっていないことはできませんから」という言葉も
印象に残りました。
ふだん世話になっている助手やトレーナーの方々に
よく声をかけ、ご馳走するそうです。
小笠原選手の練習スタイルを見ると、
それもまたなるほどと頷ける話でした。
 石投げてアブラハヤ追ふ釣り師かな

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タバコのけむり

 アイコ採り山に這いつく母を見つ
愛煙家の皆さんには申し訳ありませんが、
わたしはタバコが嫌いです。
40歳までは吸っていましたから、
本当は偉そうなことは言えません。
でも、今はタバコの煙が鼻につくとでもいうのか、
なるべく近寄らないようにしています。
そうしていても、向うから近寄ってくる場合は、
いたし方ありません。
どうするかというと、息を止めます。
昨日のことです。
昼食を終え、坂道を上っていたら、
向うから、くわえタバコの兄さんが下りてきました。
とっさにわたしは息を止めました。
平地とは違い、上り坂で息を止めるのは
容易ではありません。
それでなくても息が上がっていますから。
ぎりぎりまで我慢して我慢して、
最後のひと踏ん張りまで我慢し、
顔を赤黒くしながら(たぶん)プファーッ!!
と息を吐きました。
ところが、ちょとだけ、
タバコのけむりの臭いがします。
変だなあと思って歩いていたのですが、
はたと気付きました。
そうだ。鼻毛にけむりがまとわりついていたのだ。
そうにちげーねー。
大発見でもしたような気分に浸りながら、
意気揚々と社に戻りました。
 大股で春山漕ぐや喜寿の父

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