トモジイの最期

 意味よりも声ころころと友の春
わたしの祖父は、いまから8年前の
平成13年5月29日、98歳で亡くなりました。
ながいきでしょ。
友治と書いて、ともじ。トモジイです。
茶目っ気のあるトモジイが大好きでした。
よく憶えていることがあります。
結婚したぼくのおばさん
(ですから、トモジイの娘)が
実家(つまり、ぼくの家)にあそびに来て泊まり、
朝、化粧をしていたら、
トモジイが
化粧する娘の顔をまじまじと眺めていて
娘にこっぴどく叱られていたことです。
酒に酔ってから自転車に乗り、
苗代に自転車ごと突っ込み、
泥だらけで帰ってきたこともありました。
そのトモジイが、亡くなる2週間ほどまえに、
どうしても見たいと言って
娘(上の化粧のむすめではありません)に頼み、
介護施設から連れ出してもらったそうです。
ぼくは、そのとき横浜にいたので、
トモジイが亡くなってから
その話を聞きました。
さて問題です。
トモジイが最後に見たかったもの、
それはいったいなんだったでしょうか。
はい。それは稲の苗です。
ぼくの父(トモジイの息子)が育てている稲の苗。
それを見たトモジイは、
もう思い残すことはないと言ったそうです。
それから2週間とたたないうちに
トモジイは亡くなりました。
このあいだ秋田に帰ったときも、
父は大事に稲の苗を育てていました。
 十周年春酒友を酔ひつぶす

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