「鬼平」の「い」

 這ひ上り斃れし貒猯(まみ)を緑抱く
休日のひそかな楽しみのひとつが
池波正太郎の『鬼平犯科帳』を読むことで、
きのうは20巻目の「顔」を読みました。
こんなはじまりです。
若き日の長谷川平蔵が通っていた道場の先輩で
井上惣助という人がいました。
ある事件に巻き込まれたかして、
切腹を余儀なくされたその人を
街歩きの途中、何十年ぶりかで
編み笠の中からはっきりと目にした…。
ね、先を読みたくなるでしょ。
というようなわけで、惜しむようにして
少しずつ味わいながら読んでいます。
ところで、いまは慣れてしまいましたが、
はじめのころ、
とても違和感のある言い回しがありました。
それは、ふつう「〜いて」という場面で
池波さんは「〜い」と、「て」を省きます。
たとえば、昨日読んだ「顔」にもすぐ出てきました。
「通りの向うには茶店がたちならんでい、その背後には、高輪の海(江戸湾)が午後の日ざしに光っている。」
これがもし、
「通りの向うには茶店がたちならんでいて、…」だと、
なんだかゆるく間延びした感じさえします。
池波さんは、名文家として夙に知られた方ですから、
つかわなくていいことばは極力つかわないように
していたのでは、と想像します。
くらべてみると分かります。
今回の「通りの向うには茶店がたちならんでい、…」も、
やはりこのほうが緊張感をはらみ、
なにか起きそうな気配がただよってくるではありませんか。
 貒猯(まみ)死して緑更けゆくカッチ山

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