出物でて行き場失ふ春気功
新渡戸稲造のことではありません。格助詞の「に」と「へ」。
授業の神様といわれ、かつて大江健三郎がルポルタージュも書いたことのある群馬県島小学校で校長を務めた斎藤喜博は、「に」と「へ」のちがいを小学校の国語の授業でおこなったことがあった。
昨日のトップページの文章を読んでいて、そのことを思い出した。
『大辞林』によれば、「に」は、上代から用いられている語で、動作・作用が行われ、また存在する、時間的・空間的な位置や範囲を示すのが本来の用法、とある。
一方の「へ」は、「あたり」の意の名詞「へ(辺)」から?動作・作用の向けられる方向を示す。?動作・作用の向けられる対象を示す、などとある。
意味だけの説明では分かりにくいけれど、例えば、昨日のトップページの、
「昨日スーパーに行ったら、新玉ねぎが売っていました。」を仮に
「昨日スーパーへ行ったら、新玉ねぎが売っていました。」と比べ、
もう一度辞書の説明に戻ると、だんだんその違いがはっきりしてくるようだ。
山の幸捨てる神あり拾ふ神あり