歴史上の人物

 

かの女が暗殺者たちと前もって打ち合わせをしていたというような噂は、
すべて全くの中傷にすぎない。
かの女は強い心の持主ではなかったが、決して腹黒くはなかったからである。
リガで会ったとき、かの女は三十五歳だったが、
すでに二年前から女帝として君臨していた。
かの女は美人ではなかったが、
自分に注目する誰にも好かれる力をそなえていた。
そして、背は高く、風采も立派で、
優しく親切で、
とくに、つねに落着きのある人間だった。
(ジャック・カザノヴァ[著]窪田般彌[訳]『カザノヴァ回想録 5』河出書房新社、
1969年、p.375)

 

ジャコモ・カサノヴァの『回想録』は、文字どおり、
ヨーロッパを股にかけての恋の冒険行で、
事実は小説よりも奇なりを地でゆく稀有のものでありますけれど、
事実であるだけに、
個人の人生に迷惑にならぬよう、
そこは慎重に、
個人名をイニシャルで記すなどの配慮が見えます。
が、
だれもが知っている歴史上の人物については、
その伝ではなく、
むしろ、
カサノヴァの目とこころに映った像をくっきりと、
はっきり描いてくれていて、
おもしろく、また役に立つ。
なるほど、そうか、
そういう人だったのか、
と、
中学以来、
世界史の授業で習った人物について、
じぶんのイメージと重ね納得し、
逆に、
えええっ!! そうなの!? そんな奴?
みたいに感じる人物がいたりして
目がひらかれ、
それはそれで『回想録』を稀有の読み物にしているようです。
ちなみに上に引用したところの人物は、
エカテリーナ二世。

 

・頬赤きあの子めがけて雪合戦  野衾

 

三幕の人生

 

ロンドンでの恋は、

 

ワレラノ人生の真只中ノ(ダンテ)

 

三十八歳のわたしに、このように訪れたのである。それは、
わたしの人生の第一幕の終わりだった。
第二幕の終わりは、
一七八三年にヴェネチアを発ったときである。
そして第三幕の終わりは、
この回想録を書き楽しんでいるこのときに明らかに訪れるだろう。
そのとき、喜劇は終わることになるだろうから、
結局、三幕ということになる。
もし口笛を吹いてやじられるならば、
わたしは誰の言葉にも耳をかしたくないと思う。
しかし、わたしは読者に、まだ一幕の最後の場面もお話ししていない。
それは最も興味深いところだと、そうわたしは自負している。

 

恋ノ鳥黐とりもちニ足ヲトラレタ者ハ
翼ヲ鳥黐ニトラレヌヨウニト、一生懸命ニ逃レヨウトスル。
世界ノ賢者タチノ意見ニヨレバ
恋トハ結局、狂気以外ノ何モノデモナイノダカラ。
(アリオスト)

 

(ジャック・カザノヴァ[著]窪田般彌[訳]『カザノヴァ回想録 5』河出書房新社、
1969年、p.256)

 

カサノヴァのロンドンでの恋は、
読んでいるこちらの身にまでその苦しさが及んでくるごとく凄まじい。
が、
いろいろあった(カサノヴァさん、いろいろあり過ぎ!)
にしても、
なんとかそこから逃れ出られたことは、読者としても、
ホッとする。
引用文中、ダンテとアリオストからの言葉が紹介されていますが、
五巻まで読んできたところで言えば、
アリオストの『狂えるオルランド』からの引用が頻出し、
もっとも多い。
それだけこの詩人の作品を愛していたのでしょう。
さて長丁場の『回想録』を通し、
読書家であり、かつインテリのカサノヴァの人生に寄り添っていると、
恋の冒険家ではないけれど、
『知恵の七柱』の作者にして、
オスマン帝国に対するアラブ人の反乱を支援したトマス・エドワード・ロレンス
(「アラビアのロレンス」として有名)を連想する
ことがしばしばあります。
時代がちがい、身を挺した状況が異なるとはいえ、
性格的なものは、案外似ているところがあるように思います。
最大の共通点は潔さ。

 

・凍て道を女子と歩きて滑るかな  野衾

 

爆笑三連発

 

わたしは自分の馬車の補助椅子に坐り、
大きなクッションに寝ていた伯爵夫人の息子を膝にのせていた。
夫人は、クレメンチーナ同様に笑いこけたりした。
旅程を半分行ったところで、子供が泣き出した。乳がほしくなったのである。
すると、
母親はすぐに薔薇色の蛇口を露わに出してきた。
かの女は、わたしがそれを感嘆して見ていても怒らなかった。
わたしが赤ん坊を蛇口に近づけると、
赤ん坊は、自分が同時に飲み食いしようと思っているものを見たので笑いだした。
わたしはこの貴重な絵を羨ましげに見ていたが、
わたしの喜びは目に見えていた。
愛らしい乳児は、満腹すると乳房から離れた。
すると、
白い液体がなおも流れつづけた。
「ああ、奥様、これはもったいない。どうかわたしの唇に、
神々の列にわたしを加えてくれるこの甘露を吸わせてやって下さい。
かみついたりはいたしませんから、ご安心下さい」
その当時は、
まだわたしには歯があったのだ。
(ジャック・カザノヴァ[著]窪田般彌[訳]『カザノヴァ回想録 4』河出書房新社、
1969年、p.444)

 

薔薇色の蛇口って。たとえが大げさ。大げさすぎて笑える。
薔薇色はまあいいとして、
蛇口。蛇口ね~。
つぎ。
流れつづける乳を見、それに引きつけられ、吸わせてくれと頼むカサノヴァのことばが、
大げさを通り越し、なんだか時代がかって笑わずにいられない。
「神々の列にわたしを加えてくれるこの甘露」だもの。
でも、
ここまでは、カサノヴァって変な奴、
と思いながら腹のなかで笑っているだけだった。
堰を切ったように笑いが爆発し、とうとう声が出てしまったのは最後の一文。
「その当時は、まだわたしには歯があったのだ。」
てことは、
これを執筆している現在、カサノヴァには歯がない、
そういうことですものね。
ほんとかよ、
と疑わしい気がしたけれど、
次の五巻を読むと、
カサノヴァさん、かなりの痔主であることが判る。
痔瘻をふくめ、加齢とともに、じわりじわりと健康が蝕まれてくる。
“世界一のモテ男”カサノヴァでも、
年には勝てない。
じめっとしておらず、からっと(ときに笑いを交えて)記しているだけに、
かえって凄まじい。
迫って来るものがあります。
「人間喜劇」のバルザックが愛読したのも頷ける。

 

・大口をひらく顎田に雪吸はる  野衾

 

学ぶこころ

 

いにしえの学者は、田を耕し家族を養いながら、三年で一芸に通じ、経の大意を承け、
経文を玩味がんみするのみであったゆえ、
日を要することが少なくて徳を蓄えることが多く、
三十歳で五経が立った――修得できた――のである。
後世、
経と伝はすでに離れそむいて、
博学な者もまた多聞闕疑けつぎの意義を思わない。
そして
かりそめにくだくだしくわずらわしい解釈をして
人の論難を避けることに務め、
そのため便辞巧説をあやつり、
文字の形体を破壊し、
わずか五字の文を説いて二、三万字をも費やすに至った。
後進のものがますますこの風潮を追い、
そのため幼童でありながらすでに一芸を固守し、
白髪の老年に至ってはじめて一家言を言うことができるという次第であり、
習うたことに安んじ、見なかったことを誹謗ひぼうし、
ついにそのままみずからを蔽おおってしまう、
これは学問する者の大弊害である。
(班固[著小竹武夫[訳]『漢書3』ちくま学芸文庫、1998年、p.533)

 

引用文中、「一芸」とは六芸の一。六芸は、詩(『詩経』)、書(『書経』)、礼(『礼記』)、
楽(『楽経』)、易(『易経』)、春秋。
「伝」は、解釈の書。
「多聞闕疑」は、多く聞いて、疑わしきを取り上げないこと。
「便辞巧説」は、たくみなことば、たくみな説。
新井奥邃(あらい おうすい)は「日用常行」すなわち日々の果たすべき務めの大切さ
を説き、
日々の務めを果たしたのちに、
それでも時間があったら本を読みなさい、
という主旨のことを言っていますが、
班固の精神に通じるものであると感じます。

 

・浴びたるを許す許さじ寒椿  野衾

 

許すこころ

 

他の人を心から許すということは、私たちが解放されることです。
私たちの間にある否定的な束縛から人を自由にするのです。
「もうあなたに腹を立ててはいない」
と言うことには、
それ以上のことが含まれています。
つまり、
自らを「侮辱されたもの」であるという重荷からも解き放ちます。
自分を傷つけた人を許さないでいる限り、
その人を一緒に抱え込んでしまい、
もっと悪いことには重い負担としてその人々を引きずってしまうことになるでしょう。
怒りの内に敵に固執し、そうすることで自らを侮辱され、
傷つけられたものとみなすという大きな誘惑がそこにあります。
それゆえ、
許しは他の人を解き放つばかりではなく、
私たち自身をも解き放ちます。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.58)

 

侮辱されたと感じて、「ぜったい、ぜ~~~ったい、ゆるすもんかっ!!」
なんてことを思ったり、言ったりしても、
そうそう怒りが持続することはないようです。
個人的にそう思います。
意気が消沈するように、怒りも消沈する。
ちょっと情けない。
でも、
消沈したのに、大事に怒りを持ちつづけようとすると、
怒りを思想信条とする「怒り教」みたいなことになりかねません。
からだに悪そうだし。
じぶんを「傷つけられたものとみなすことに大きな誘惑がある」という洞察は、
「傷ついた癒し人」ナウエンなればこそと思います。
しかし、
許すということは、なかなかむつかしい。
人間業でないかもしれない。
ここに祈りが現実味を帯びてくる根拠がある気がします。

 

・小屋寒し一羽残らず喰はれけり  野衾

 

祈るこころ

 

また、祈るときは、偽善者のようであってはならない。彼らは、人に見てもらおうと、
会堂や大通りの角に立って祈ることを好む。
よく言っておく。
彼らはその報いをすでに受けている。
あなたが祈るときは、奥の部屋に入って戸を閉め、
隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。
(「新約聖書 マタイによる福音書第6章5-6節」聖書協会共同訳『聖書』、2018年)

 

この箇所を読むたびに連想するいくつかのことがありまして、
そのひとつが長谷川町子の『いじわるばあさん』
主人公である伊知割石(いじわるイシ)は、およそ祈りとは程遠いように見えて、
なかなかそうでないかもしれない。
イシさん本人に訊けば、
そんなことがあるもんか、なんて言われかねないけど。
もう一つは、池波正太郎の『鬼平犯科帳』。
いっぱいおもしろい話があるなかで、
街道で安くておいしい団子屋だったか茶店だったか忘れましたが、
ひとの噂にのぼる店があり、
そこに主人公の長谷川平蔵が犯罪の臭いを嗅ぎつける。
ニンゲンは、百パーセント悪いことはなかなか出来ないものだ、
どこかでバランスを取りたがる、
そんな人間観察、洞察を、
たしか漏らす場面があったと記憶しています。

 

・寒卵利かぬ指もて割りにけり  野衾

 

歌うこころ

 

『書』に「詩は志を言い、歌は言を詠ながくす」とある。
ゆえに哀楽の心が物に感ずるとき、それは歌詠の声となって外にあらわれる。
それを言ことばに表わして誦むのを詩といい、
その声を詠く節づけるのを歌という。
それゆえ古代に採詩の官があり、
王者はそれによって風俗を観、政治の得失を知り、そしてみずから考え正したのであった。
孔子はもっぱら周の詩を採取したが、
上は殷の詩、下は魯の詩をも採取し、都合三百五篇とした。
秦の焚書の禍わざわいに遭いながらも完全に残ったのは、
その諷誦ふうしょうがただ単に竹帛《ちくはく》にだけ残されたのでないからである。
(斑固[著]小竹武夫[訳]『漢書3』ちくま学芸文庫、1998年、p.519)

 

司馬遷の『史記』につづき、電車通勤の行き帰り、班固の『漢書』を読み始めて
しばらく経ちます。
いま読んでいるところは「芸文志」で、
歴史書が扱う時代の図書目録が記されています。
引用した文章中『書』は書経。
『古今和歌集』の「仮名序」ともひびき合い、時空を飛び、広やかな気持ちになります。
秦の焚書坑儒は有名ですが、
焚書の禍いに遭いながらも詩が残ったのは、
その諷誦がただ単に竹簡や布帛にだけ残されたのでないから、
とする班固のもの言いに、
しずかではあるけれど、
歴史家としての反骨の精神が鳴っているように思います。

 

・白濁のなかの青さや蜆汁  野衾