ただかたそばぞかし

 

源氏物語の蛍の巻に、光源氏の語る(すなわち紫式部の)物語論として有名な、
「日本紀などはただかたそばぞかし」
ということばがでてきます。
源氏物語をおもしろく読んだ者として、
主人公の光源氏に、
ということは、
作者の紫式部にそう言われると、
そうだよなあ、
日本書紀を初めとする、
いわゆる正史なるものは、
歴史のことがらのほんの一面に過ぎないかもなあ、
そんなふうに感じられ、
古事記は、
三浦佑之さんの口語訳で読んだものの、
日本書紀については、
式部先生の御説にならうかたちで、これまで読んできませんでした。
ところが、
里中満智子さんの『天上の虹 持統天皇物語』
を読み進めるにつれ、
ああ、これは、
里中さんの源氏物語であるな、
とも感じられ、
日本書紀をちゃんと読んでみたいと思い始めました。
『天上の虹』は、
三十年以上を費やした、
いわば里中さんのライフワークとも呼べる作品で、
コミックで23巻ありますが、
巻が進むほどに、
ぐいぐい物語に引き込まれます。
これから18巻目。
ええっ、こんなこと本当にあったの?
と疑問に思い調べてみると、
実際にあった話で、
日本書紀に記されている、とくに天智、天武、持統の三天皇周辺のことは、
きちんと事実を押さえているのがよく分かります。
よくぞ描いたものだと思います。
素晴らしい!
このマンガは、大化の改新から始まっています。
なので神代の話は出てきません。
ここに里中さんの歴史認識があると思います。
日本書紀を読むための大きなモチベーションを『天上の虹』が与えてくれました。

 

・首筋を撫でて背中へ溽暑かな  野衾

 

臀を掻く音は

 

夜中目が覚めトイレへと。
小用を足して寝床へ戻るとき、臀の辺りがかゆくなった。
エアコンを入れてはいるものの、寝ているうちに汗をかいたのだろう。
左の臀が痒い。
深夜のこととて、うるさい蟬の声もなく、
静まり返っている中、
ひとり臀を掻く。
ギョエギョエギョエギョエ。
漢字で書くと、
御江御江御江御江。
あるいは、魚会魚会魚会魚会。
なんてことを考えていたら、
ハッと気づいた。
ギョエであろうが、御江であろうが、はたまた魚会であろうが、
音としては、
このごろよく耳にするあの
台湾栗鼠の鳴き声にそっくりではないか。
臀の痒みはとっくにおさまっていたけれど、
台湾栗鼠の鳴き声と相似であることを確認するために、
痒みのおさまった臀を再度掻いてみた。
ギョエギョエギョエギョエ。
やはり、
台湾栗鼠の鳴き声だ。

 

・雲の峰時のしずくを浴びてをり  野衾

 

刊行日の変更

 

先月末刊行予定の拙著『文の風景 ときどきマンガ、音楽、映画』
ですが、
造本がコデックス装
(機械でなく、職人さんの手作業の工程をふくむ)
ということもあり、
刊行がひと月ほど遅れ、
今月末の刊行となりました。
アマゾン等オンライン書店の表示を変えてもらうよう、
依頼してありますが、
すこし時間がかかっているようです。
すでに予約注文されている方には、
たいへん恐縮ですが、いましばらくお待ちくださいませ。
刊行に合わせ、
今月末には、
フランス文学者で学習院大学文学部教授の中条省平さん、
東京学芸大学教育学部准教授の末松裕基さん
のお二人をお迎えし、
拙著をめぐって鼎談を行うことになっています。
鼎談の内容は、
のちに図書新聞への掲載を予定。
あわせてお覚えいただければ幸いです。
よろしくお願い申し上げます。

 

・寄せ来る波や風鈴の鳴り止まず  野衾

 

いのちのふるえ

 

この季節、外へ出ると、大瀑布のようなる蟬の声が襲ってきます。
指でつまめるほどの体が発する、
何万年のまえからつづく、
小さないのちの大合唱。
猛暑酷暑は身にこたえますが、
耳を突き破るような壮大な自然の音楽は爽快そのもの。
つとめを終えた蟬たちが、そろそろ地面に身を横たえ始めました。
ころんと静かの貌に見とれてしまいます。
つまめば、
いのちが抜き去られ、いかにも空っぽ、のものあり。
かと思えば、
いのちのちからが充ち溢れ、
指先に伝わってき、
静謐の時が辺りを支配するかのようなものあり。
いのちが黙って歩いていきます。

 

・昼餉終え風鈴の音の幽かかな  野衾

 

和漢三才図会

 

或る時私は先生より、
「あなたは和漢三才図会をよんだことがありますか。」
と聞かれ、
何気なく「読みました」と答えた処、非常に叱られた。
その際先生はこう云つた。
「今の人間は本の数さえ沢山よめばそれでよいと思つているが、
それでは本当のことはわからん。
三才図会のようなよい本になると、
一通りや二通り読んだゞけでは駄目です。百ぺんでも二百ぺんでも読んで、
生きた人間にあてはめて見て、
わからん処のなくなるまで読まねばなりません。
あなた方の読んだというのは、それは本当に読んだのではない。
ただ眼で見たゞけに過ぎない。」
(代田文誌『沢田流聞書 鍼灸眞髄』医道の日本社、1941年、p.143)

 

引用した文の「先生」とは、鍼灸の名人で、天才とも称された沢田健。
以前、
お世話になっている朝岡鍼灸院の朝岡和俊先生
との対談の折にも取り上げた本。
どういうきっかけ、なんの因果か忘れましたが、
不意にこの本のことが思い出され、
いい機会かもしれないと思いましたので、
数年前に買って会社に置いたままの、平凡社の東洋文庫に入っている口語訳『和漢三才図会』
を一巻目から読みはじめました。
いま四巻目。
全部で十八巻あります。
三才とは、天、人、地、
著者の寺島良安は医者ですから、人体に関して、鍼灸に関しては、
なるほど、
沢田先生がおっしゃるのも宜なるかな
ではありますが、
これはどうなの? と首を傾げるような記述(とくに外国の地誌、外国人の特性に関して)
もあり、
笑ってしまう絵が少なくありません。
江戸時代の百科事典のようなものですから、
ゆっくりページを繰っていると、
かの時代にワープしたような妙な感覚に捕らわれます。
しばらくは、
江戸でうろうろすることにします。

 

・打ちとけて風鈴の音に語るかな  野衾

 

坂の上から

 

だいぶ、というか、そうとう、いや、かなり暑くなってきました。
帰宅時、家にたどり着くには、
最後の難関の階段と坂を上らなければならず、
年とともに、
なんでこんな場所を選んでしまったんだろうの感慨がもたげてしまうことも、
ないではないのですが、
坂の上から、
夕日に照らされた東側の丘、さらにその上の空を眺めると、
ああ、
きょうも一日が無事に終った、
どうもどうも。
で。
一分もないぐらい
(たまにおそらく一分を超えて)
だとは思いますが、
とても気持ちが高揚し、逆に、こころが落ち着く気がします。
「わたし」の感情に縛られず、逆らわず、
やり過ごす。
脳内のことまでは分かりません。
さて、
コーナーを曲がったところで、
腰の曲がったおばあちゃんがゆっくりと腰を伸ばしています。
体操かな。
どうも。
は。どうも。
富士山が見える辺りの空は深紅に染められ。
ほー、うぐいす。
どうもどうもどうも。

 

・いつなれや逢ふ日の庭の蟬のこゑ  野衾

 

孔子と少正卯

 

魯国の都において、孔子塾に対して、
少正卯《しょうせいぼう》という人物の塾も相当な勢力があったらしい。
孔子にとってライバルである。
だから、
孔子は五十歳をすぎて魯国の閣僚となったとき、
ライバルの少正卯をただちに暗殺している。
おそらく少正卯の塾を解体するためであっただろう。
(加地伸行『儒教とは何か 増補版』中公新書、2015年、p.99)

 

引用した箇所に出てくる少正卯について、わたしは知らずに来ました。
『史記』も割と最近読んだのに、
こんな大事なことを見逃していたのかと、がっかりします。
気になりましたので白川静さんはどんなふうに取り上げているか、見てみました。

 

[史記]はなおこのあとに、翌十四年、大司寇より宰相のことを摂し、
大夫少正卯を誅殺した事件を特筆している。
その話は[荀子]宥坐篇に初見し、
秦漢以後の書には、しばしばみえる有名な事件である。
[荀子]によると、
少正卯は、「居處は以て徒を聚めて群を成すに足り、言談は以て邪を飾り、
衆をまどはすに足る」小人の傑雄であったという。
「青年を堕落させる」詭弁学派であったらしい。
陽虎にしても少正卯にしても、
孔子が最も鋭く対立したものは、どこかで孔子に最もよく似ている相手であった。
(白川静『白川静著作集 6 神話と思想』平凡社、1999年、p.315)

 

う~ん。ちなみにちょうどいま『荀子』を読んでいますので、
ずっと後ろのほうに登場する「宥坐篇」のその箇所にあたってみました。
するとたしかに、少正卯誅殺の記事があり、
つづいて、少正卯を無き者にしたことに対する弟子の疑問に答え、
孔子が語ったとされる文言が記されています。
さて、この事実をどう見るか。
短兵急に答えを出すことは慎まなければなりません。
中国でもいろいろに議論されてきたようです。
論語好きの渋沢さん、また、吉川幸次郎さんは、どう見ていたのだろう。

 

・守られて早うとうとと蚊帳のなか  野衾