会社のコンセプトがあって、それに応じて企画し仕事を選ぶというのが普通のあり方だろうが、逆に、仕事のほうが自律的に会社を選ぶということもあるのだろう。
1968年から70年にかけ東京大学の学生だった平沢氏が撮った写真集をウチから出すことになった。『東大全共闘・68-70』。昨日その写真を見、モノクロ写真に写し出された当時の学生たちの真剣な表情に打たれた。立て看板に有名な「連帯を求めて孤立を恐れず」の文字も見える。怒り、願い、焦燥、時代の空気までがそこにはある。
若き日の平沢氏にとって、われらが写真家・橋本照嵩はヒーローだったのだそうだ。写真集『瞽女』に驚き、懐かしそうに見ていた。橋本さんが草むらを一時期撮っていて、自分がある時から木を撮り始めたのは橋本さんの影響があるかも知れない、とも語った。平沢さん、すっと立ちあがり、書棚に並ぶ『新井奥邃著作集』に目をやった。背文字をじっと見、それから一冊手に取りぱらぱらめくった。東大の学生だった頃の平沢氏、その後の編集者生活35年の時間が、今、目の前にいる平沢さんと重なる。いい写真集が出来そうだ。
先日、保土ヶ谷駅構内にあるトイレに入った時のこと、便器に向かって用を足していたら、六、七歳の少年がぼくのとなりの便器に向かってズボンのチャック(今はジッパーか)を下ろした。
酒も入っていたぼくは、ゆっくりのんびりやっていたのだが、少年、素早く用を足したかと思いきや、自分のモノをふりふり振って水を切り、それから思いっきり体を反らせ、マトリーックス! と叫んだ。少年の大胆な行動に思わず息を呑む。
映画『マトリックス』をぼくは観ていない。が、エキゾチックで端正な顔立ちのキアヌ・リーブスが体を弓なりに反らせピストルの弾を除けるシーンは有名で、テレビで何度も放映された。まさしくあのシーン、アレにそっくり。少年が実際に『マトリックス』を観たかどうかはわからない。テレビで見ただけかもしれない。しかし、少年がマトリーックス!と叫び、のけ反らせた体の線は柔らかく美しく、映画の中のキアヌ・リーブスそのものだった。
少年はさっさと手を洗い、ぼくのほうをチラと見て、駆け出した。他に誰もいなくなったので、ぼくは少年の真似をしてみた。便器に向かったまま体を反らせ、マトリーックス!
て、て、て、いて、いて、腰に来た。体が硬くて、とてもあの少年のようにはできない。でも、なんだか嬉しくなった。
小学生の頃、テレビアニメで『流星少年パピー』というのがあり、ぼくらの間で(たぶん全国的に)流行ったことがある。『宇宙少年ソラン』というアニメもあり、パピーとソランはあの頃の二大ヒーロー。危険にさらされた人間を救い出すため出動するとき、パピーは、ピーン、パピー! と叫んだ。ピーン、パピー!
ぼくはやらなかったが、どう見ても運動神経のよくないA君が、何を思ったのか、あるときを境に、トイレで用を足した後、ピョンと飛び跳ね、ピーン、パピー! と叫んでからトイレを出ていくようになった。一度や二度ではない。スーパーヒーロー・パピーにあこがれたのかもしれない。勉強は出来てもスポーツがからきしダメなA君は、授業中、よく後ろの席のT君に耳を引っ張られ血を流していたっけ。血が固まりかさぶたになった頃を見計らい、悪ふざけなT君は、またまたA君の耳を引っ張った。そんなことがあってもA君は、あまりメゲることもなく、トイレの帰りには必ずピョンと一回飛び跳ねてから、ピーン、パピー! と叫んで廊下へ走り出して行くのだった。
あれから四十年ちかく経つ。マトリックスの少年は、同じくトイレということもあり、あの頃のA君をまざまざと思い出させてくれた。
小社で一番強そうな書名は、なんといっても『倭寇』。
倭寇とは、13世紀から16世紀、朝鮮半島・中国大陸の沿海地域を侵犯・略奪した日本人に対する朝鮮・中国側の呼称(『大辞林』による)で、これに関する研究を一冊にまとめた。そのタイトルがずばり、『倭寇』。担当したのは若頭ナイトウ。税込13650円の大部の真面目な研究書だが、そのこととは別に、この単純明解、屹立するようなタイトルが、ナイトウもぼくも大好きで、『倭寇』につづく強そうなタイトルはないものか、日々、頭を悩ませている。
と、最近、『百姓一揆事典』という本が民衆社から刊行された。これも相当に強そうだ。定価も税込26250円で『倭寇』に負けていない。なので、向こうが百姓一揆ならこっちは土一揆で行こうか。『土一揆事典』どうです? 強そうじゃありませんか?
ところで、問題は、本の中身を置いといて、タイトルの強さを云々するわれわれは一体何なのかという問題。それと、強そうと感じる「強」の内実は何かということ。これを明らかにしない限りまったくもってナンセンスなわけだが、確かにそれはそうなのだが、でもやっぱり強そうと感じて、好きだ。自分がわからん!
つれづれに記すこのコラム、今はぼくの一日の仕事の始まりになっているが、そもそもの始まりは、つまり記念すべき「よもやま日記」初日を刻んだのは、ぼくではなく若頭ナイトウだった。あの頃は、若頭ナイトウでなく社員ナイトウだったが。
ナイトウ君と二人で、恐る恐る(別に恐れる必要はないが、何にしても、始まりというのは覚束ないもの)会社の報告として書き始めた。初日の記事に最低週二回とある。ナイトウ君とぼくとそれぞれ書き、日記が一日2ケある(笑)日もある。
この頃は、ぼくの落書き帳的色彩のほうが濃くなっているかもしれない。あることないこと、意味を強調したりデフォルメしたりして書き、図に乗って、つい何十行になってしまうこともあるが、最初の頃はほんの数行だった。
二日酔いで倒れ、日記のアップが遅れたとき、ある著者から電話があった。有り難いと思った。社員に断り机の後ろの床でぐったり横になりながら、いいも悪いも含め、会社の「今」を知ってもらうには会社案内のパンフレットより有効かも、と考えていた。
ホームページがリニューアルし、これまであったトップの「たがおのかお」のコーナーを編集部持ち回り、週番で書くことになった。今週は若頭ナイトウ、ほぼ三年半ぶりの登場となる。一日一日少しずつ確実に変化していくものだなあ。
自分に宿題を課し、持って帰った仕事を土日で片付け、やっと解放された。
本を読むもよし、音楽を聴くもよし、昼寝するもよし、冷蔵庫にある残り物で料理するもよし。そこで、まず、ハウリン・ウルフの『モーニン・イン・ザ・ムーンライト』を聴いた。
渋い! あのダミ声、真似したくても真似できない。『浪曲子守唄』で有名な一節太郎の声を万力で捩じ上げたら洩れ出るかと思われるような強烈な声ともつかぬ声。と、フッと返ってファルセットになるあたりがまた堪らない。セクシーとはこういうことをいうのか。『エイント・ゴナ・ビー・ユア・ドッグ』のライナーノーツによれば、ウルフの音楽にもっとも長く連れ添ったギタリストのヒューバート・サムリンは、「ウルフを初めて聴いたのは、14歳のときだった。ウルフとブルースを演るよりもマシな人生がこの俺にあるとは思えなかったね」と、最大級の賛辞を送っている。く〜、泣かせるねえ。そんなに褒められたら面倒見るしかないじゃん。
気分好転、今度は冷蔵庫の中をあさり、牛蒡と大根と焼き竹輪があったので、味噌汁みたいなものをつくった。これがなかなか美味い。だいたい日本の煮物なんてえものは、日本酒を少々入れてあげるとなんとか普通に食える味になる。梅干があり、ツナ缶があり、母が送ってくれた佃煮もあるから、日曜の昼食としてはこれで充分。久しぶりに休日らしい休日を過ごした次第。
今日はいよいよ『新井奥邃著作集』第9巻の下版だ。
以前勤めていた出版社の社長は、挨拶励行を社員に促した。挨拶一つでお客さんから随分褒められる。挨拶はいくらしたってタダなのだから、挨拶しなさい挨拶しなさい。タダ、というのが少し気になったが、社長の言葉は概ね正しいと思ったから、資料整理や校正でどんなに忙しくても、お客さんが来たとなれば、泥の中からビョンと顔を出すムツゴロウのように立ち上がり、挨拶したものだ。
今は、必要以上にデカい声で挨拶することはないが、挨拶は気になる。
挨拶をして、きちんと返してもらえれば気持ちいいし、蚊の鳴くような声で返されると嫌われているのかしらと思ってしまう。挨拶しようと思った矢先に目を避けるような奴(いるんだ、そういう奴)がいたら、殴ってやろうかと思うぐらい朝から興奮している。
最近よく挨拶するのは八百屋のオバちゃん。自宅近くの階段を降り、保土ヶ谷橋の交差点に向かう角にあるのだが、電車の時刻を気にしながらタタタと小走りに通りすぎる。「はよーござぃまーす」と声をかける。小走りだからしょうがない。するとオバちゃん、「お・は・よ・う・ご・ざ・い・ま・す」と、一音一音区切って丁寧にお辞儀する。あまりに丁寧なのでこちらが恐縮し、時間がないのに、しばし立ち止まりもう一度ぺこりと頭を下げる。交差点の青信号が目に入り全速力で横断歩道に突っ込むことになる。
小料理千成で、二、三度オバちゃんに会った。訊けば、山形出身だそうだ。そうか、工藤正三先生と同じ山形か。
ところでこの「挨拶」の字、「挨」も「拶」も、挨拶以外で使われているのをあまり見たことがない。白川さんに訊いてみるしかない。説明を読んで驚いた。
白川静の『字統』によれば、「挨」は、強く撲って後ろから押しのける意の字、「拶」は、押しのけて争そう意の字。禅家では一問一答して相手を試みることを「一挨一拶」といったそうで、もと相手を呵責する意であったのが、のち社交的な儀礼を指すようになった、云々。
してみると、挨拶されて目を避ける人のこころを推し量れば、社交的な儀礼などとは程遠く、呵責されるという「挨拶」本来の意味に近く認知しているのかもしれない。
おれが挨拶しようとすると、目を避けるあの女、おれから呵責されたとでも思っているのだろうか。いけ好かねー奴だなあと確かに思っているから、そのこころがムチとなってあの女を叩くのか。ふむ。なかなか深い。難しい。
お贈りいただいた飯島耕一さんの最新詩集『アメリカ』を読んでいたら、左足の親指がグググと音立てて攣って下方へ折れ曲がり、ヤッベー、と焦ったものの、我慢してそのままにしていたら、ほわ〜んと阿呆な笑いみたく治っちゃった。が、こういうハッキリした痛みではなく、今のぼくの痛みはもっと陰惨でちっぽけで、痔から出る血を座薬で一時和らげるような痛みでしかないな、と、そんなことを思った。痛みもほんの少ししか感じられなくなっている。
「夏の雷」が気に入った。「夏の雷は/途方もない昔と同じくらい わめいて いるか」まったくだ。「生者の交合はあるか/死者のように 陰気な虫か何かのように/交合しているのはいるかも知れない」まさに、哀れ、陰気な虫のセックスだよ。
「ヘルペス病中吟」という詩の、ヘル ヘル ヘルダーリンのリフレインは、少し声を上ずらせて音読すると、何ともいえぬ可笑しみがこみ上げて来て、とうとう涙まで出た。可笑しいのか悲しいのか、ぼくという一匹の虫がいた。
最後の詩「アメリカ」のなかで、飯島さんは「武器の谷のアメリカ/悲しいアメリカ/それは私だ」と書いている。書かずにいられなかったのだろう。傑作詩集だ!