若頭ナイトウが傑作短篇小説集『ヨコハマ ヨコスカ 幕末 パリ』の打ち合わせで飯島耕一さんに会った時、飯島さんが、「三浦君は声がでかいねえ」とおっしゃったそうだ。「はい」とナイトウ。すぐに「でも、いまはちょっと風邪をひいているようです」と付け加えるのを忘れなかった。すると飯島さん、「三浦君でも、風邪をひいたりすると少しは意気消沈するのかね」とおっしゃったとか。アハハハハ… 飯島さんがカラカラと笑う顔が目に浮かんだ。ありがたいことです。風邪ばかりでなく色々なことに触れては意気消沈し、笹船のごとくに揺られ通しなわたしです。にんげんだもの。アハハハハ…
そうそう。おーい、中島さーん。ありましたありました。相田みつをのめくりと片岡鶴太郎の絵をダブルパンチで飾ってある店がありましたよ。ボクシングの元世界チャンピオンの人がやっているラーメン屋で、元チャンピオンだけあって、ワンツーアタックって感じでさ。アハハハハ… 驚きました。今度横浜に来たら一緒に行こうよ。
後段については、本欄1月30日のコメントをご参照ください。
風邪もだいたい治ったろうということで、昼、勢いつけて太宗庵へ行き、肉うどんとご飯と温泉卵を頼んだ。
ところが、半分も食わぬうちに体内から変な汗がどっと吹き出し、どうしても食べ切れず、大好物の肉うどんを初めて残した。お勘定の段になり女将さんにわけを話すと、女将さん「おやおや。そうですか。まだ本調子じゃないんですよ。気を付けてくださいよ」
三日間寝てばっかりで小食だったのが、いきなり肉うどんとご飯と温泉卵では胃もびっくりということなのだろう。体は正直だ。
紅葉坂を上り、教育会館に戻ったら、玄関のところで会館の事務長に会った。会うなり「風邪ですか」と訊いてきた。わたしの顔がよほど青白かったのだろう。「気を付けてくださいよ。事務所のS、知ってるでしょ。昼飯食ったら戻しましてね。そいつはいけねえってんで、そのまま医者に行かせましたよ。今年の風邪は長引くそうですから、用心に越したことはないです」
夜、ちょいと一杯ひっかけたら、これが美味かった。理由ははっきりしている。三日間、酒を一滴も飲まなかったからだ。体は正直だ。
熱も引き、風邪は概ね治ったようだ。が、立ち上がると、どうも心もとない。足元が少しふらつく。人間以外の動物は生まれるとすぐに立ち上がるが、気分としてはあんな感じで。それに、体と心の統一感というものがまるでない。エネルギーがみなぎってこない。へなちょこだ。風邪をひく前と後では皮が一枚剥がれたような気がする。皮膚が妙に生々しく、不精髭が藪のように生えてきた。髭。髭。髭。髭が生え、か。冗談言ってる場合じゃねえし…。やることは山ほどあれど、今日は慣らし運転のつもりで過ごそう。
風邪には休息が一番ということで、起きては休み起きては休みしていると、昨日のような変な夢は見るし、喉は乾くし、頭はボーとするしで、いつもと違う休日を過ごしているわけだが、ひとつ気になることが発生した。それは、ホコリ。寝ているあいだに増えている。絶対に!
そんな馬鹿なと思われるだろうが、わたしもそうは思うのだが、たしかに気のせいだとは思うが、そうに違いないのだが、でも、普段に比べて布団を敷いている時間が長く、寝返りを打つ回数も多いはずだから、あながち気のせいとばかりも言えない気がして、とにかく絶対ホコリが増えている。
そうすると、このホコリ、布団から発生したのかもしれないのに、じっと見ているうちに、わたしの体の中から発生したのではないかと思えてくるのだ。体の中の過剰がホコリとなって吐き出されたのではないかしらん…。
それと、目が覚めて気になるのは、マットレスと敷布団が微妙にズレていること。そうすると、風邪で体を余り動かしたくないのに、どうも気になってピチリと合わせたくなる。ところが、この単純作業、結構手間がかかるのだ。ウワッ! 寒ッ寒ッ! と言いながら、それでもマットレスと敷布団だけ手早く合わせるというわけにもゆかず、まず、上の毛布や掛布団を外し、それからでないとなかなかピチリと合わせにくい。ま、そういうことを考えると、休んでいるのに結構忙しいし、それぐらい体が動くのだから、元気になっているのだろう。
風邪をひき熱にうなされ眠ったせいか、変な夢ばかり見た。
あれは故郷秋田の駅か昨年社員旅行で訪れた函館の駅、あるいはそれが合成されたような雰囲気の駅で。喉が乾いていたわたしは「美味しいソフトクリームあります」の看板に目を奪われ、さっそく一つ買うことにする。
間もなくビニールの筒状のものを渡され、訝っていると、「480円になります」と売店の娘は言った。ソフトクリーム1個480円は高過ぎやしないか。でも、わたしにだけ高く言うはずはないから、仕方がない。何か特別の材料と製法で作り高価なものになっているのだろう。財布から500円玉を出して娘に渡し、お釣りを貰う。
さて、ソフトクリームだ。普通ならコーンに入っているところ、480円もするそのソフトクリームは、まるでジュンサイでも入っているようなビニールの筒に入っており、端を破ってチューチュー吸わなければならない。チューチュー、チューチュー、チューチュー。顔をひょっとこのようにし、いくら吸っても、泥水のような味がするばかりでちっとも美味くない。が、なんだこの味は! と怒鳴る気力もない。もう何もかも無意味なような気がしてきた。
グジュグジュになったビニールの筒をゴミ箱に捨て、それから電車に乗った。
ふと思った。あれは、そのまま食べるものではなかったのでは。あれを材料にし、自宅の台所でソフトクリームが作れるという代物ではなかったか…。とは言っても、戻って確かめる気力もなく、粗忽な自分がほとほと嫌になり、今にも雪が降ってきそうな鉛色の空を窓からぼんやり眺めていた。体の芯がますます熱くなってくるようだった。
ある日、パソコンに向かって何やら検索していた専務イシバシが、いきなりこう言った。
「このまま死んだら、わたしの人生なにもいいことがなかったということになるわ」
悲観の虫が疼いたのだろう。まともに付き合っていると大変なので、黙って聞かぬ振りをしていた。
翌日、またパソコンに向かっていた彼女、今度はこう言った。
「わたし、お金が貯まったら、スイスに別荘買いたいわ」
楽観の虫? 開いた口がふさがらぬ。
「矛盾してねえか。きのう、あれほど悲観的、昭和枯れすすきみたいなことを言っといて、舌の根の乾かぬうちに、きょうはスイスに別荘かよ。それに、この前は葉山って言ったろう。とりあえず、どっちでもいいけどさ」
「それもそうね。アハハハハ…」
社内の空気が一気に和む。救いの神は無意識の不意の言葉にも潜んでいる。相田みつをよりもありがてえ。
昼過ぎから体が火照って、風邪だ! と思ったので、とりあえずデカビタCを2本飲む。
家に帰って休むべきだったかもしれないが、文化村シアターコクーンで演っている「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」をたがおと観に行った。清水邦夫原作、蜷川幸雄演出。
蜷川さんらしく大スペクタクルな演出で綺麗かつ仕掛けたっぷり。中嶋朋子と木村佳乃は色っぽい。将門役の堤真一は、「狂おし」くない。コミカルな馬鹿の振りをしているだけで、「狂」とは違う。狂っている人というのはこういう感じでしょ、というのを演じているように見え、外からの見え方など気にせず充実した「狂」を生きている風ではない。韓国映画「風の丘を越えて」の音楽とパンソリは○。
3時間近くの芝居を観終わり、腹が減ったので、前にカメラマン橋本照嵩に連れていってもらった回転寿司屋で数個摘まみ、腹を満たしてから帰った。
