朝、出勤途中いつもの階段を下りながら、ひょいと見たら梅の花が半分ほど咲いていた。夜、仕事帰りに空を見上げたら満月だった。ポール・ボウルズの『シェルタリング・スカイ』に登場する男は、満月を眺め、生きている間にあと何回満月を見るだろうとキザなことを呟く(思っただけだったかもしれない)が、その言葉はその後の彼の人生を暗示するものだった。二月も間もなく終わり、いよいよ三月。世は卒業式、入学式のシーズン。会うは別れのはじまりで、悲しいような、なつかしいような、切ないような、でも、好きな、いい季節だ。
李白の「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」は、惜別の詩として夙に有名だが、学校で習ってからずいぶん時が経つ。今回編集している本の中にこの詩のことが出てきて、友情について詠った詩でもあると知ってうれしくなった。
オモテとかウラとか最近は聞かなくなったが、やはりあると思うよ。
降雪量の多寡だけでなく、なんといっても晴れた日の空が違う。『新井奥邃著作集』でお世話になっている山形の先生が冬に編集合宿で来社した折、つくづく空を眺め、山形にはないなあこの季節にこんな空は、と仰った。また、今年の元旦、東京駅でのこと。秋田新幹線を降りた客がホームに立つなり、いいなあ、こんな土地で暮らせるひとは、と感じ入っていた。
きょうは少し曇っているけど、二月の空がこんなに明るいのは裏日本では考えられないのじゃないか。性格にもきっと影響しているだろう。裏日本のひとはよく笑う。暗いといったのはだれ? でも、裏返しで笑うしかないということもあるか。
いつもの床屋で頭を刈ってもらった後、腹が減ったので、すぐ近くの中華飯店で味噌ラーメンと餃子を頼んだ。
餃子は、中の具がとにかく細かく砕かれすぎていてベチャッとなり、皮も箸で丁寧に扱っている割にはすぐに破れる代物。
味噌ラーメンはといえば、麺の上に、もやし+若干の挽肉+キャベツがミニ古墳のような形で乗っていた。かき氷をくずす要領でならして食べ始めたのだが、バランスを計りながら食ったはずなのに、麺もスープもなくなる頃になっても、まだもやしが丼の底3分の1ほどを占めていた。残すの悪いなあと思って頑張ってみたものの、最後はとうとう諦めた。ふと見ると、メニューに「もやしラーメン」があった。味噌ラーメンのもやしが食い切れぬほどなのに、もやしラーメンとなったら一体どれほどのもやしが乗っているのか、空恐ろしくなった。
昨年夏に買ったエアコンが、動作中、あるタイミングでカタカタカタと音を発するようになり、そろそろ前面パネルを外して掃除をせよとの合図であるかと思い立ち、マニュアル片手に丁寧に外枠から外していったら、中の空気清浄フィルターのツメがきちんと合っていなかった。ただそれだけだった。
きちんとツメを合わせたら、今までのあの音は何だったのかと思うぐらいに静かになった。買ったときから外れていたのかもしれない。狐につままれたような感じとは、こういうことを言うのか。
埼玉大学の島岡教授来社。小社から『野麦峠に立つ経済学』を出している。
新しい本の打ち合わせをした後、外で一緒に食事。いろいろお話を伺ったが、なかでも特に面白かったのは、先生が三年前からチェロの個人教授を受けているというお話。
島岡先生から見れば息子ぐらいの年齢の師匠、島岡先生をつかまえて、まるで子供を叱るように頭ごなしに叱るそうなのだ。誉められたことはないという。あるとき、島岡先生、レッスンの復習をしていて、ははあ、師匠が以前教えてくれたのはこういうことだったのかと合点が行くことがあり、喜び勇んで次のレッスンの時にそのことを息子ぐらいの年齢の師匠に報告したそうだ。するとその息子ぐらいの若造が、もとい、師匠が、「あなたがわかったというそのことは、音楽的にはまったく無意味なことです。あなたは大学では先生かもしれないが、ことチェロに関しては赤子も同然。いい気にならないように!」島岡先生、ぐうの音も出なかったとか。
それでも島岡先生、週一回のレッスンを欠かしたことがない。来年定年で大学を辞めるとき、最終講義で学生たちを前にピアノ伴奏付きでチェロを弾くご計画とか。がんばれ島岡先生!
恐るべき師匠のことは島岡先生の日記にも登場する。
小社HPにてコラム「裸足のキャンベラ」を書いてくれている恵子さんから会社に電話。どこから? と訊いたら、キャンベラからだった。
四年間のオーストラリア暮しに終止符を打ち、ご家族で日本に帰ってくることになったそうだ。感慨もひとしおだろう。かつて、わたしの家に遊びに来た時、ラーメンの丼に顔を突っ込み、汁を最後まで飲むべく丼をきつく掴んで放さなかった子供らも大きくなったろう。小学校五年生と二年生とか。日本の学校に入り直してとなると、子供にとっても大変だ。
友人と呼べるひとのことを考えると、人生の時間は短いとこの頃よく思う。ある時期に知り合って、それから長く付き合うようになる者同士には、五年十年なんてあっという間だ。恵子さんも侍ミュージシャンの上田さんも秋田の我が家に遊びに来たことがある。あの頃はまだ祖父母も元気だった。ひょうきんな祖父は、朝、毛糸の帽子を被り飼っている鶏に餌をやりに行くのに、ゴム手袋をした手をサッと上げ、おどけて見せた。
年をとるに連れ、時間が早く感じられるというのは本当だ。
今いる者たちで相乗効果を図りつつ怒濤の年を乗り越えようとしているが、おかげさまで、次つぎ魅力的な原稿が寄せられ、さらに面白い仕事と会社をつくるべく編集者を募集する。
詳細はホームページのトップ左上から入ってもらうことにして、わたしの気持ちとしてはこうだ。
昨日たまたま書店営業を委託している業者の方が来社し、いろいろ話を聞かせてもらったが、どこの版元もますます苦しいらしい。在庫管理と取次への流通をお願いしている業者に尋ねても、それは同じ。インターネットが普及し、いよいよ空気みたいなものになり、機械音痴のわたしでもパソコンなしでは夜も日も明けぬようになっている現状を鑑みれば、推して知るべしで、本など売れるはずがない。
そこで、馬鹿の一つ覚えで言うわけだが、小社としては、これからもとことん文章にこだわっていきたい。文章を読み、書き、することで人と会社を磨いていこうと思う。文章はおもしれえぞー! だれかにすがるわけにはゆかぬ。不安と危なさを孕みつつ行くしかないが、そうであれば余計、読んで書くしかない。人の文章を自分の文章として読み、自分の文章を他人の文章として読む。校正、校閲がますます重要になってくる。誤植は減らす。曖昧さを廃す。自己嫌悪に満足しない。人の話をよく聞く。ジャンルにこだわらない。好奇心旺盛でありつづける。
どしどしご応募ください。
