歌丸さん

 

 満月を網戸放ちて見し夕べ

今日は歌丸さん。
今度の「春風目録新聞」に、落語家の歌丸さんが登場します。
ご多用の合間をぬって、
インタビューに答えてくださいました。
武家屋敷がお話をうかがってきました。
わたしは、武家屋敷がまとめた記事を読んだのですが、
歌丸さんのお人柄が偲ばれるとてもいい原稿です。
仏教で上品、中品、下品という言葉があるようですが、
歌丸さんは上品の人なのでしょう。
短い時間のインタビューですし、
とくべつなエピソードを開陳してるわけではないのですが、
なにを語っても(原稿を読んでいると、
ピンクの歯茎をだしてニッと笑う歌丸さんの顔が浮かんできます)
武家屋敷も上手にまとめてくれました。
スッと胸に入ってきて、気持ちよくなります。
機会を見つけ、歌丸さんの高座を聴きに行こうと思います。

 満月や空のコルクを抜きにけり

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長田弘さん

 

 猫じゃらし我が身一寸法師かな

詩人の長田弘さんの本を、わたしは学生の頃から読んできました。
『ねこに未来はない』『読書百遍』『私の二十世紀書店』
『記憶のつくり方』『感受性の領分』等々。
出版社を始めて、いろいろな方に原稿をお願いし、
いただいてきたのに、
どうして長田さんにお願いしなかったのか、
自分でもなんだか不思議です。
お願いする時期がやっと来たということかもしれません…。
『読書百遍』と『私の二十世紀書店』を、
わたしは三度読みました。
二度読んだ本は他にもありますが、
三度読んだ本は、この二冊だけです。
(絵本は除きます)
『私の二十世紀書店』の巻末に、
本のなかで取り上げている書のリストがあり、
それに○印をつけ、宿題をこなすように読んでいきました。
懐かしい思い出です。一冊一冊読むことで、
二十世紀という、
それまで宙に浮いてでもいるように感じられた言葉が、
急に親しいものとなり、いろんなひとが呼吸して
歴史をつくっているのだと感じられたものです。
長田さんの本を読むと、こころがやわらかくなった気がし、
ああ、この感じで本を読みたいなあと思うのです。
そうして、書棚にあるまだ読んでいない本とか、
一度読んだけど、もう一度読んでみようかなと思う本を手に取り、
椅子に腰掛けてゆっくり頁をめくります。
そうすると、前と同じ文字を読んでいるはずなのに、
前はそんなことなかったのに、いま初めて読むように、
ことばが胸に沁みてきます。
長田さんの本が効いたのでしょう。
今度の春風社目録新聞のテーマが「紙の本」に決まり、
長田さんにぜひこのテーマで詩を書いていただきたいと思い、
手紙を書きました。
昨日、お原稿をいただきました。
「ベルリンの本のない図書館」がそのタイトルです。
正直、体が震えました。
今日もまだ、長田さんの詩の余韻に浸っています。

 鎌倉へ鉄道草の靡きけり

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おカネのこと

 

 椋鳥ら電線会議開きをり

お小遣いでなく、働いておカネをもらったのは、
小学校の四年生ぐらいではなかったかと思います。
お盆の前に沼に行き、蓮の葉を採ってきて、
それを売り歩きました。一枚いくらで売ったのか、
もう忘れてしまいました。
全部で二、三百円ぐらいになったのじゃなかったでしょうか。
それから飛んで、大学一年生の夏休み、
叔父のいる工場で働きました。
八時間働いて二千八百円。ということは時給三百五十円!
薄給です。
働いておカネをもらうことは大変だなあと思いました。
家庭教師は、いいおカネになったし、
喜ばれもしましたが、
あまり働いているという感じがしませんでした。
いま現在の働きは、その中間ぐらいの感じで、
働いている気がしないことも間々あります。
原稿を一枚一枚ていねいにチェックし
頁をめくっているときなどは、働いている感じがあります。
いくつになったら、おカネのことが
リアリティーをもって感じられるのでしょうか。
それとも、おカネは信用で成り立っているものですから、
鍋や火や水や鰯や太陽のようにはリアリティーが感じられなくて
当然なのか。
子どもの描く絵におカネの絵がないのは、
千円札、百円玉、十円玉はあっても、
おカネそのものというのは、
この世に存在しないからではないでしょうか。
それはともかく、
あるとき父が、子どもにおカネのことで
苦労かけまいかけまいと思って育ててきたが、
それは、どうやらそのとおりになったけれど、
そのせいで、逆におカネのありがたみが分からない人間になってしまったようだ…
と、ぽつりと言ったことがありました。

 きちきちと椋鳥電気帯びてあり

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公園のなかの公園

 

 椋鳥をほうと叫びて払ひけり

休日の午後、近所のひかりちゃんが貸してくれた
『公園のメアリーポピンズ』を読んでいて、
ふと顔を上げたら、
今日はまだ一歩も外へ出ていないことに気づき、
なんだかもったいない気がして外へ出てみることにしました。
坂を下りてなじみのお店に立ち寄り、
小一時間ほど、お茶をいただいて帰ってきました。
見上げると、公園の上の電線に椋鳥が群れを成して止まっています。
ほうと叫ぶと、見えない糸でつながっているドミノのように、
また、南京玉すだれのように、
なめらかな幾何学模様を作り出します。
しばらく見とれてしまいました。
『公園のメアリーポピンズ』は残り
「ハロウィーン」の章だけになってしまいました。

 椋鳥や飛び立ち南京玉すだれ

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練功千日

 

 野良猫が生ゴミ攫ふ月夜かな

二〇〇七年二月一日から始めた禅密気功ですが、
今日で千日になりました。
朝は一日も欠かしませんでしたが、
夜は食事をしたあとちょっと横になって休むつもりが、
すっかり寝入ってしまい、
眼が覚めてもどうにもやる気が起きず、
そのまま布団に入ってしまうことも間々あります。
が、
この気功のおかげで、体調は今のところ良好。
体重も不摂生をしていた頃に比べ十キロほど落ち、
ほぼ適正体重に戻りました。
もう一個免状をもらうと、
お金をいただいて人に教えることもできるのですが、
本業が忙しく、時間が取れそうにもありませんから、
それはひとまず置いといて、
引き続き健康維持のために続けるつもりです。
数字が問題ではありませんが、
続けるための一つの契機にはなりますから、
次は練功二千日を目標にします。

 半月の下の黒子の夜寒かな

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紙の辞書

 

 秋寒や若沖の鶏羽ばたけり

岩波書店では、来月20日に「岩波国語辞典第七版」を発売するそうです。
わたしが最初に買った辞書が「岩波国語辞典」でした。
中学一年生のときです。
今は会社に置いてあります。
『トーハン週報』という主に書店員が読む雑誌がありますが、
そこに岩波書店辞典編集部の署名で、面白い記事が載っていました。
タイトル「紙の辞書だからこそ」。
電子辞書やインターネットと比較し、
紙の辞書の良さが縷々力説されています。

①一覧できる。つまり、ひと目でいろいろな項目が目に入る。
目的の言葉だけでなく、周辺の単語が目に入るので、
意外な言葉との出会いや発見がある。それによって、言葉の世界が広がる。
(なるほど。でも、ちょっと苦しい感じ)

②紙の辞書で引くと、記憶の定着度が高い。
(え!? そうなの? だいぶ苦しい感じ)

③紙の辞書には、「紙幅の制限」がある。
分量を気にせず書き込めるインターネット上の辞書と
最も異なる点である。ページ数に限りがあるから、
必然、解説文は簡潔でわかりやすく、要領を得たものになる。(なる!)
そして、新たに収録する言葉も、
なんでも入れるというわけにはいかないため、重要性の高い言葉や、
現代の生活に必要な言葉を吟味し厳選する。
(相当苦しい感じ)

(  )はわたしの感想ですが、この記事を読み、
紙の辞書づくりにかける編集部員の苦労が身につまされました。
紙の辞書ってこんなにいいんだぞ!と、
脂汗を流しながら力説する情熱が伝わってくるではありませんか。

 明日届く机待つ夜の鉦叩

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極私的

 

 秋の日のワインにチーズフォンデュかな

実物をまだ見たことがありませんが、
キンドルという液晶画面の電子端末があるそうで、
読みたい書籍や新聞などを端末で購入すると、
通信回線を通じてデータとして取り込み、
液晶画面で読むことができるのだとか。
ところが、アメリカで、
キンドルにまつわるちょっとした事件が起きた。
ジョージ・オーウェルの『1984年』を
キンドルで読んでいた人が相当の数いたらしいのですが、
突然画面から消え、読めなくなったそうです。
著作権のことで問題が生じ、配信する側が消したという。
本を読むということは、きわめてプライベートな行為で、
恋人との蜜月よりももっと濃密な時間が流れることもある。
それが、だれかの手によって管理されるということになれば、
読書そのもののあり方が変容せざるを得ない…。
そういうようなことを一昨日、NHK「視点・論点」で
作家の藤原智美さんが話していました。
(恋人との蜜月よりも、とは藤原さんは話されませんでしたが)
坂口安吾の『堕落論』を、ジャックナイフを
ふところに忍ばせるように持ち歩いていたという、
ある作家の若き日のエピソードを思い出しました。
本と人との距離がますます問われることになりそうです。

 鰯雲とろ~りチーズフォンデュかな

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