朝一番にすることは

 

 菊水を舌嘗めずりの余寒かな

昨日、風呂から上がり、仏さまに水をあげ、
さてそろそろ会社へ行こうかと思っていたら、
電話が鳴りました。
父方の叔母からでした。
電話してくるのは珍しく、いろいろ話してくれた中に、
亡くなった祖父は、朝、眼を覚ますと、
その日一日の段取りを布団のなかで考えてから
起き出したというエピソードがありました。
それにならい、叔母もそうしているそうです。
几帳面なところのある祖父でしたから、さもありなん!
晩年、血圧の薬やらなにやら、いろいろ飲んでいましたが、
飲む順番があって、
宗教儀式のようにそれを正確に守っていました。
順番を乱すと、健康が害われでもするかのように。
さて、わたしの今日の予定は、
午前中、京都から盆栽の美人先生が来社、
午後から埼玉にある十文字学園訪問、
とんぼ返りで夕刻、保土ヶ谷駅で秋田の後輩、
元サントリー人事部部長さんと飲み会。
忙しい一日になりそうです。

 菊水の一番しぼり春よ来い

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人間理解

 

 本二冊読んで顔上ぐ余寒かな

犬が飛びついたって、馬が鼻をこすってきたって
「嫌よ、嫌よ」なんて気取らないでしょう。
正直に「可愛いワ」という。
ところが人間同士になるとそれを素直に表現しない。
ひどいのになると、自分のやりたかったことでも、
他の人がサッサとやっているのを見ると、
もう自分のやり度いという考えをサッと捨てて
「いやらしい」とか、
「あんなことやってどうするつもりなのかしら」とか
「まア厚かましい」とか、
そういうことやっているのが間違っている
というような表現をすることは珍しいことではない。
その逆に、そういうことをやっている相手が
自分の好きな人だと、
自分のやりたくないと思っていたことでも
ツイ良く見てしまったり、
又同じことを自分迄がやってしまうことさえあるのです。

以上は、整体の提唱者・野口晴哉の
『人間の探求』のなかの一節です。
野口さんはまた、この本の「序」に、
「世の中はいろいろ変ったが、
ここで説いていることは、これからも変らぬことと思う。」
と記しています。昭和四十九年二月とありますから、
三十六年前のことです。

 長靴を取り出し名残の雪となり

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耳鳴りほどの

 

 文庫本かじかむ指を滑り落つ

きのうは「建国記念の日」で休日でしたが、
仕掛かりの『明治大正露文化受容史』の
最終打ち合わせのために、著者と会社で打ち合わせ。
わたしは、他の仕事もありましたし、
せっかくですから、
約束の時刻より一時間前に出社しました。
すると、なぜか、
忌野清志郎さんの「パパの歌」を思い出しました。
「昼間のパパはちょっとちがう」。
作詞は糸井重里さん。そのメロディーで、
「休みの会社はちょっとちがう」。
なぜならば、だれもいないし、音楽がなく、
電話が鳴らず、超静かで、耳を澄ますと、
耳鳴りが聞こえてきそうなぐらいだからです。
二時間かけて来てくださった著者との確認は、
二十分ほどで終り。
また二時間かけて帰られることを思うと、
申し訳なかったのですが、
お越しいただき話ができたことで、
安心して下版できます。

 きんきんと耳鳴りほどの余寒かな

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不具合

 

 レジ袋かじかむ指を濡らしけり

印刷用語で、本の紙に文字が印刷されるスペースのことを、
版面と書いて、はんめん、はんづら、と言います。
今わたしが編集している本の最終校正が終り、
編集長ナイ2君に見せたところ、
さっそくチェックが入りました。
ナイ2君いわく、
章末の注のいくつかが版面に収まっていないのではないか。
パソコン上で確かめたところ、
ナイ2君の言うとおりでした。
ナイ2君始め、若い編集者が
あれこれ試してみたのですが、
直る気配がありません。
考えられることは、この本の編集途中で
ソフトを新たに換えたことにありそうです。
バージョンアップしたとはいうものの、
もともと同じソフトですから、
問題なさそうなものですが、
事はそう単純ではないんですね。
機械は難しい。
結局、章ごとに注の一行一行をチェックし、
文字が版面に収まるように、手作業で直しました。

 鬱勃と湯気立ちコーヒーバルザック

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ハビコル!?

 

 冬の日の喉にからみしナポリタン

きのう、面白い電話があった。
たどたどしい日本語の外国人ですと、
最初に電話に出たものから告げられ、
わたしが換わった。
「はい。気功の本の担当者の三浦と申します」
「ソウデスカ。ワタ~シハ○×△□デス。ヨロ~シク」
「今どこから電話されてますか?」
「オハイオデ~ス。オハイオ、シッテマ~スカ?
ニホ~ンゴノ、オハヨウニニテイル、オハイオデ~スネ」
「ああ。オハイオ州ですね。分かりました。
ところで、気功の本を出したいそうですが、
原稿はありますか?」
「ハイ」
「日本語の原稿ですか?」
「エイゴノゲンコウデ~スネ」
「英語の原稿を日本で出したいのですか?」
「イイエ、チガイマ~スネ。
アナ~タノ、カイ~シャガ、キョウミガア~レバ、
ニホ~ンゴニ、ホンヤクシヨウト、オモッテイマ~スネ」
「どうして翻訳してまで日本で出したいのですか?」
「ナンデスカ?」
「英語の原稿があるのに、英語の本にしないで、
日本語に翻訳して、日本語の本にして
日本で出版したいのはなぜですか?」
「アア。ソウイウコ~トネ。アメ~リカデハ、
キコウヲ、アマリシリマセ~ンガ、ニホ~ンデハ、
キコウガ、ハビコッテイマ~スネ」
「蔓延っている?」
「ハイ。ハビコッテイマ~スネ。ダカラ、ニホ~ンデ、ダシタ~イ。
ワタ~シハ、ニジュウネン、キコウヲヤッテイマ~ス。
コウツウジコデ、メク~ラニナリマ~シタガ、
キコウデ、ナオシマ~シタ。
ソノタイケンダンモ、ハイッテマ~ス」
………………………………………………
主旨はよく分かったが、出版は難しいと判断し、
その旨を伝えると、最後に、彼は次のように言った。
それは、とても気持ちのいいものだった。
「アナタ、ショウジキニ、イイマ~シタネ。
ダカラ、カンシャシマ~ス。アリガトゴザイマ~シタ」

 凩もしばし獺祭りかな

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書棚

 

 ひかり差す百人一首の冬の宵

三年前に二千冊の本を売って、
部屋の中がだいぶすっきりしましたが、
それでも、大きな書棚がまだ二本あります。
そのうちの一本は奥行きがあり、奥に一列、
手前に一列というように本を並べていますから、
わたしにしてみれば、けっこうな数で、
たった二本の書棚ですが、
すべての本を記憶しているわけではありません。
読んだ本と、
まだ読んでいない本が半々ぐらいですかね。
憶えていないので、
思い出したように、ときどき書棚の前に立っては、
順番に背文字を眺めていきます。
上の段から順々にゆっくり眺め、下まで来たら、
また上の段に戻って、やり直します。
自分の書棚なのに、
いろいろなことに気づかされます。
今は、バルザックとウィリアム・ブレイクに
興味が移っているな…。
そうすると、二人に関連する書目が図となり、
他の本たちが背景に退きます。
ふだん気づかぬ無意識の所在を知るために、
ときどき書棚を眺めているようなのです。

 苺大福コーヒー豆の春近し

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練功三年

 

 息白し無駄のこころを省きけり

毎日の気功を始めて三年が過ぎ、
今月から四年目に入りました。
ときどき、ん!? と、
体に微かな異変を感じることもありますが、
あまり気にせず、適当にやり過ごし、
むしろ、日々の気功に精を出すようにしています。
本家の中国では、三年どころか三十年
続けている人がごろごろいるという話を
聞いたことがあります。
四十年となると、三十年選手(!?)とは
またちがった動きになるのだとか。
今から四十年となると、九十二歳。
それまで生きるかどうか、分かりませんが、
しなやかな動きを身につけて、
ポックリ逝きたいと思います。
帯津三敬病院の名誉院長で、
著書も多い帯津良一さんの
帯津式「達者でポックリ」の
二項目目が「気功を身につける」です。
ちなみに一項目目は「できるだけ歩く」。
『背骨ゆらゆら健康法』
『気功瞑想でホッとする』を参考に、
みんなで気功をやりましょう。
って、最後は宣伝でした。

 降る雪ややおら獣になる時間

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