貧しいと貧乏

 

 鬼ごっこ鬼の稲刈りかくれんぼ

「貧しい」と「貧乏」ではどっちが貧しいか、
を考えてみました。
以前、『金持ち父さん貧乏父さん』という本が出て、
わたしは読んでいませんが、
よく見ましたから、
けっこう売れたのではないでしょうか。
それはともかく、
「貧乏」というのは具体的にカネがないことで、
経済的なニュアンスが濃い。
それに対して「貧しい」は、
経済的な意味でももちろん使いますが、
それだけに限りません。
おカネを持っていても、
たとえば、
知識が貧しい、身なりが貧しい、心が貧しい、
ってことはあるでしょうから。
知識が貧乏、身なりが貧乏、心が貧乏とはふつう言いません。
「貧しい」には含みがありそうだけど、
「貧乏」には含みがなく、
相当貧乏な感じがするね、
なんてことを昨日社内で話していました。

 秋風を待って二月過ぎにけり

100620_1120~0001

秋バージョン

 

 馬鹿天気八月四十五日なり

このホームページのトップにある
「春風フォトストーリー by 橋本照嵩」が、
昨日から秋バージョンに変りました。
今回も、日本のみならず、
韓国、スペインの写真が入っています。
もう少し暑い日が続くようですが、
季節はとっくに秋。
どうぞお楽しみください。
それから、
業界紙『新文化』に、
インタビュー記事が掲載(9月9日)されました。
pdfファイルでどうぞ。
これです。
ここには載せていませんが、
他の紙面を見ると、
どうしても電子書籍ネタが多いようです。
取材してくださった冨田さん、
お疲れ様でした。
そして、
ありがとうございました。

 秋風や昼の陽射しを忘れをり

100627_2041~0003

ふるさと

 

 秋の日のコーヒー豆をガリガリと

小椋桂さんの歌に「野ざらしの駐車場」があります。
懐かしいはずのふるさとが
どうしようもなく変ってしまって、
もどるすべはないものか、
変ってしまったのは、
ふるさとでなく、
むしろ、
わたしの方ではないのか、
というふうにもその歌詞は受け取れます。
ふるさとは、
故郷と書いたり、
古里とも書きますが、
わたしにとってはまた、
小椋さんの歌と同様、
「経る里」でもあります。
いま、
拙著『父のふるさと 秋田往来』の校正をしながら、
第三章にある「夢」を読み直し、
この章がこの本の臍だと感じました。
臍は、考えてみれば
母と直につながっていたことの痕跡に過ぎず、
ふだん無聊にまかせ臍のゴマをとり、
その臭いに辛うじて母との紐帯を切なく、
懐かしく、
また愛しく思い出す程度の
あってもなくてもいいようなものですが、
ふるさとの哀しく懐かしい思い出は、
夢の中でこそそのリアリティーを発揮できる
ような気がしてきました。
「夢」を独立した章にすべきではないか、
と提案してくれた
編集長ナイ2君に感謝しています。

 一夜明けブイヤベースの秋となり

100801_1602~0001

涼

 

 きりぎりす通り過ぎたらきりぎりす

九月も半ばになろうとしているのに、
涼というのは季節外れですが、
今年の天気がそもそも季節外れなのですから
仕方がありません。
ほんと、
やっと涼しくなりました。
昼食を終え、
野毛から紅葉坂方面へ上っていたら、
歩道にきりぎりすが跳び出してきました。
お。
杜の緑を一身に集めたような、
それはそれはきれいな色です。
お菓子のようで、食べたいくらいです。
見とれていたら、
坂の下から近づいてくる人がいましたから、
そのままそこにいるのがなんとなくはばかられて、
きりぎりす君に別れを告げ歩き出しましたが、
十歩も歩かぬうちに、
またきりぎりすがいました。
やはり、
眼の覚めるような緑色をしています。

 きりぎりす色を集めて光りをり

100801_1559~0002

電子書籍がやってくる

 

 長靴を履いて台風避けにけり

やってくるんですねー。
電子書籍を読む機械は、キンドルやiPadだけでなく、
これからもつぎつぎ出てくるようです。
そういうことについての本が
世の中にたくさん出ていて、
わたしも何冊か読みましたが、
どれも刺激的で面白い。
時代が大きく変わる気配を感じます。
本屋も出版社も取次も著者も編集者も、
変わらざるを得ないでしょう。
安閑としているわけにはいきません。
日本の出版界のアキレス腱だったいわゆる再販制度も、
いずれぶっ壊れるんじゃないでしょうか。
わたしとしては、
つくられた紙の本が電子化されることについては、
こまごま考えなければいけない問題は多々あるにしても、
それほど大きなこととは思っていません。
むしろ、
最初から電子書籍化する、
されることを念頭に置いたテキストのほうが気になります。
それが一般的になる時代の著者と編集者、
出版社のあり方が問われてくるのでしょうが、
それがまだ見えません。
見えなくて当然かなとも思います。
まだ、そういう時代になっていませんから。
でもいずれ、そう遠くない時期に、
そういう時代がやってくるでしょう。
そのときに一番問題になるのは、
テキストを見、
読む場合のテキストの評価ではないかと思っています。
結論を急ぐようですが、
本=電子書籍が一般的になったあかつきに、
このテキストは、例えば賞に値する、
あるいは、
パッケージングして残しておくべきだとみなされたテキストが
紙の本にする資格を得る、
みたいなことになるのではないか、
そんな気がします。
でも、分かりません。

 台風一過烏呆けて鳴いてをり

100804_1820~0001

文は人

 

 秋風を抱いて後ろへ流しけり

このサイトのトップページ右上に、
「きょうのツバメ」のコーナーがあります。
ちょっとメタボなツバメが若葉をくわえて飛んでいます。
社員が持ち回りで書いているのですが、
短い文章でも、
人それぞれに特徴があります。
読んでくださっている方は、
どんな感想をお持ちでしょうか。
わたしは、人となりを知っているだけに、
なるほどとすぐに合点の行くこともあれば、
へ~、こういう文章を書くんだぁと、
嬉しくなることもあります。
ちょっとした言葉の使い方で、
その人らしさが現れるのは、
面白いけれど、
こわいことだなぁと思います。

 青々と空を映して秋の風

100904_1453~0001

濱龍

・じりじりと季語吹き飛ばす残暑かな

一日の主な楽しみは昼食で、
きのうもふらりと外に出ました。
さてと。
指をしゃぶってスイと風に当てるがごとく、
足の向くまま気の向くまま、
野毛方面へ下りました。
清泉さんは月曜定休。
福家さんはやっています。
週の始まりは、やっぱり泥鰌かな。
なんてことを思いながら歩いていたら、
下りてきた道と
桜木町駅・日ノ出町駅を結ぶ道の交差点に差し掛かり、
と思いきや、
青の信号がぷかぷかぷかぷか点滅し始めました。
おっと、急ぐことはないし、
待て待てと逸る気持ちをなだめ、
立ち止まり、
ひょいと左手を見れば、
そうか、このごろここに、
新しい中華料理のお店が出来たのだったな、
ということで、
すぐに気が変わり、
急遽このお店に入ることにしました。
「マーボー豆腐定食」と「昔ながらの中華そば」を注文。
二つで1144円だったかな。
正確に憶えていませんが、
たしかそれぐらいだった気がします。
リーズナブルです。
味のほうはと言えば、
むむ、こ、これは、
というほどではありませんでしたが、
ふつうに美味しかったです。
店内は広々しており、70席あるのだとか。
ヨコハマ経済新聞の紹介記事によれば、
千葉市の大和グループのお店だそうです。
今日また行って、
カメラマンの橋本さんが好きな
レバニラ炒めをたのんでみようかな。

・新聞を敷きてごろりの午睡かな

100804_1819~0001