編集者

 

 飯(いひ)炊けてねんねこの児の眠りかな

ヤスケンこと師匠・安原顯さんは、生前わたしに、
「三浦くん、編集者は合わない仕事だよ。
オレは生まれ変わっても編集者にだけはならねーよ」
ヤスケンは江戸っ子なので、べらんめー調です。
でも、言葉の意味とちがって、ヤスケンは
編集の仕事が好きで好きでたまんないんだなぁと思いました。
合わない=報われない、でしょうから、
ヤスケンが人知れず、どんだけ本づくりに精進していたかと、
ときどきその言葉を思い出します。
きのう、エッセイストで写真家のみやこうせいさんから
手紙をいただきました。
200字詰め原稿用紙13枚びっしりに『出版は風まかせ』の
感想が書かれてありました。
何度も何度も読み返し、ありがたい気持ちで胸いっぱいになり、
近くにいる編集長ナイ2に、
「ヤスケンはああ言ったけど、この手紙を読んで、
報われた気がするよ。
奥邃先生的には報われてはいけないんだけどなぁ」
と言うと、ナイ2くん、
「いいじゃないですか。たまに報われても…」
ナイ2くんの言葉もほっこりと、温かいものが胸に広がりました。

 餅叩く祖母より零る金歯かな

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気功瞑想

 

弊社から刊行した『気功瞑想でホッとする』を読んでくださった方が、
著者の朱剛先生が主宰する「日本禅密気功研究所」に
感想文を寄せられ、それが、研究所の会報第57号に載っています。
朱剛先生とご本人に了解を得、ここに再録させていただきます。

楽しみにしていた本が手元に届き、
夢中で1回読み、2回目は少し落ち着いて読み、
少し間が開いて、いま3回目を読み始めました。
不思議です。読まずにいた間も、机の上や枕元など、
いつも自分の目に触れるところにあり、
その存在を自然に感じ続けていました。
そのせいでしょうか、ページを開き、
眼鏡をかけて(老眼鏡です)読み始めると、
ほんの2~3ページ読んだだけでもう本を閉じ、いつのまにか
ふーっと物思いに耽っています。
頭の中に今まで思いもしなかった気づきがポッと浮かんでくる…
それをゆったりと味わう…
それが、あぁそういうことかと素直に胸に落ち着き、
心は満ち足りた静けさに包まれる…
(外から見たら単にボーッとしているだけかも知れませんが)
そんな風にして、3回目はゆっくりゆっくり読み進めています。
これからもどんな気づきが得られるか楽しみです。
これは、中身のギューッとつまった宝石箱のような本。
ときどきふたを開けては一つ取り出し、
その充実したきらめきを味わい、
光を浴び、また大事に戻す。
そんな風にして今後も何回も何回も読み返していく、
私にとって、とても大切な一冊となりました。(Tさん、50代女性)

Tさん、朱剛先生、ありがとうございました。

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越川透

 

 新米を炊きて華やぐ御殿山

越川透という人は、変わった名前ではありませんから、
日本国中、探せば、
かなりいらっしゃるのではないかと想像されますが、
わたしは実在の越川透さんを知りません。
それなら、なぜ越川透なのかといえば、夢に出てきたからです。
夢の中で、その人は越川透でした。
正確にはわかりませんが、
八十歳には達していないと思われます。
足腰がしっかりしていて、矍鑠(かくしゃく)たるものです。
夢の中の春風社は、横浜ではなく、秋田でもなく、
しかし風光明媚な田園地帯に社屋があり、
社を訪ねて来てくれた越川さんは、
別れ際何度も「人間は、わがままでなくちゃいかん」と言いました。
専務イシバシが越川さんをバス停まで送っていきました。
わたしは社屋から、歩く二人の姿を眺めていたのですが、
越川さんは立ち止まり、
山に向かって俳句を詠みました。
向こうには山、二人とわたしの間には芒が風に揺れています。
越川さんが詠んだ俳句が、空から、ちゃららららーんと大文字で
空中に印字されました。こういうことが夢では簡単に出来ます。
越川さんは俳人だったのかと納得しました。
わたしはすぐ近くにある本屋に行きました。
本屋に入ると、手塚治虫の本がずらーっと並んでいます。
手塚さんの本以外にも、
手塚さんの絵をあしらった表紙がたくさんあります。
どうしてなんだろうと、不思議に思いました。
それはともかく、
わたしは越川透の本を探しましたが、なかなか見つかりません。
若い男の店員に尋ねると、
今はあまり読まれなくなりましたからねと言いながら、
数冊棚から出してくれました。
手に取ってページをめくると、
ノドの糸がほつれてばらばらになりそうです。
相当古いのでしょう。『源氏物語評釈』と書かれてありました。
わたしは店員に、
越川さんの俳句が載っている本はありませんかと尋ねると、
ああ、それならと別の棚へ行き、一冊の本を出してくれました。
お礼を言うと、店員は「いいえ」と言って、
その場を離れていきました。
わたしはその本を開いてみました。
『源氏物語評釈』と同じように古い本でしたが、
越川さんの髪がふさふさした写真も載っていました。
有名な作家が縁側に引かれた布団に横になっており、
若い越川さんと談笑しています。
その手の写真が何枚も載っていました。
横になった老人は上半身裸、ずいぶん痩せています。
越川さんは若いときに、
こういう人たちとの付き合いがあったのだなと思いました。
「人間は、わがままでなくちゃいかん」は、
その時の体験から来るものなのかなと思いました。
わたしは結局、越川さんの本も、ほかの本も買わずに店を出ました。

 一俵の米を担ぎし空に月

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横浜防疫所

 

 大風やインフル菌を吹き飛ばせ

きのうのことです。
仕事を終えて外へ出、
台風まだかなと空を仰ぎ見ながらてくてくと
紅葉坂を下りていったら、
スーツにネクタイ姿の若者が片手にキャリーバッグ、
片手に地図帳を持ちながら、きょろきょろ辺りを見ていました。
やおら私に近づいてきて、
「弁天橋はこの辺でしょうか?」
「いやぁ、知らないなぁ」と応えました。
「そうですか…」と若者。きょろきょろ坂道を上っていく風でした。
わたしは交差点まで歩き、信号待ちをしながら、
さっきの若者が気になり、振り向くと、
とぼとぼとこっちへ下りて来ます。
かわいそうになり、「あなた、どこへ行きたいの?」
「東横インです」
「それなら反対だよ。ちょっとさっきの地図を貸してごらん。
ほら、ここにワシントンホテルと書いてあるでしょ。それがアレ。
ね。見える? ワシントンホテルの横の橋を渡ったところが東横イン。
ああ、あの橋が弁天橋っていうのか。それは知らなかった」
「地元の人でも知らないことがあるんですね」
「よけいなこと言うなよ。とにかく近くまで行ってあげるから、
着いて来なさい」
若者、にこっと笑い、くっついて来ました。
道々聞けば、三重県から横浜防疫所の試験を受けに来たのだそうです。
本当は県庁に入りたかったのだそうですが、
このご時世、県庁はさすがに難関らしく、
大学での勉強を生かし、横浜防疫所を受けに来たとのこと。
「がんばれよ」
「ありがとうございました。ありがとうございました」
「いいから。ほら、クルマに轢かれるよ。気をつけろよ」

 猿股で米を担ぎし父の秋

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ナメクジ

 

 蛞蝓季節外れの濡足りかな

池田澄子さんの俳句で
「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」
があります。
今は教科書にも載っているそうですが、
見よう見まねで俳句を作るようになってから、
外の景色、野草、動物や虫たちに
以前に比べ目が行くようになった気がします。
きのう歩いていたらブロック塀に大きなナメクジが
ぬたっていました。
ナメクジは漢字で書くと蛞蝓。
「なめくぢり」といったり「なめくぢら」とも言うようです。
夏の季語ですから夏に登場すればいいのに、
季節を間違えたのか、のっそりぬたり、
そこにいました。
「お前もじゃんけんで負けたのか」と、
言ってやりたくなりました。

 とろろ汁二杯目からが味を知る

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 ダマッコの白玉無敗のオセロかな

子どもの頃、秋になると、
果樹園をやっている母方の親戚に梨を買いに行きました。
まだ自家用車がなく、
耕耘機にトレーラーを付けたものを父が運転し、
母が助手席、わたしと弟は荷台に乗って
風を浴びながらはしゃいで行ったのを覚えています。
親戚の家を訪ね従兄弟たちとひとしきり遊んだ後、
果樹園に行って梨を箱ごと買って帰るのです。
夕方になると、昼と違い果樹園は鬱蒼とした森に変貌します。
少し肌寒くなってきます。
森のあちこちで、烏がガーガー鳴いています。
八郎潟を右に左に見ながら父は運転するのですが、
あるところに来て、ブレーキを踏みました。
どうしたのかと思って荷台の縁に顔を出すと、
父が「まぢがえだみだいだ」と言いました。
それからハンドルを切って、エンジン音を威勢良く鳴らし、
また走り出します。
どれぐらい走ったでしょうか、
父は、また、ブレーキを踏みました。
「…おがしな…。まだこごさ出でしまったな…」
さすがに父も焦っているようでした。
「きづねに騙されだべが?」
わたしと弟は顔を見合わせました。
背中に冷たいものが走りました。
小さい頃のことで、よく憶えていませんが、
あとは無我夢中で家に辿り着いたような気がします。
このことを思い出したのは、
先日、宮沢賢治記念館へ向かう上り坂の辺りの様子と
空で鳴いていた烏が少なからず影響しているようです。

 友来り風にふるえるとろろ汁

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新米ダマッコ

 

 仲秋のダマッコ頬張る御殿山

収穫なった秋田こまちの新米を父に頼んで送ってもらい、
さっそく秋田の郷土料理・ダマッコ餅を作り、
気の置けない仲間といっしょに食しました。
うめがったー!!
奇しくも空には仲秋の名月、雲がたなびき、
秋の風情を愉しませてくれます。
同じ町出身の後輩の発言に、そうだ、我が家でも、
この時期、芒の花を生け、
収穫なった米で搗いた丸餅、梨、栗、りんご、山のあけびなどを器に入れ、
月に手を合わせていたことを思い出しました。
父の手の厚さ大きさをチラと横目で見遣り、
真似してパチパチと拍手を打ったものでした。

 ダマッコ二つトランペットのガレスピー

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