夕霧かずき

 

・嘘一つ言はずに終へし萬愚節

三度目の源氏物語もだいぶ進んで、
まもなく初音に入ります。
学校の勉強でなく、
自分で読もうと思って最初に読んだのは、
高校に勤めていた頃ですから、
ほぼ三十年前になります。
今と同じように出勤前の朝早く、
時間を決めて読んだのですが、
なんともお勉強のようなつまらぬ読書で、
楽しむどころではありませんでした。
その後ずうっと時間がたち、
まず田辺聖子の『新源氏物語』を、
つぎに谷崎潤一郎の現代語訳を、
それと並行するように
岩波文庫ワイド版で読んだら今度は読めた。
さらに、
瀬戸内寂聴訳で物語に登場する女たちにダイブし、
橋本治『窯変 源氏物語』で光源氏にしんねり突っ込みして、
原文にもう一度アタックしたわけです。
三度目の正直!?
だいぶ楽しめる間が増えた気がします。
が、
すらすらすらと読めるかというと、
そんなことはありません。
ふー。
やはり千年の時間は大したもの。
そして読めば読むほど、
作者の紫式部という人はスゲー! と思ってしまいます。
このごろの楽しみは、
自分が映画監督か
テレビドラマのディレクターになったとして、
登場人物たちのそれぞれに、
芸能人だったら誰を、
あるいは自分の周りの人だったら誰をあてるかと空想すること。
それで独りバカウケしているのが、
光源氏と葵の上の子どもである夕霧。
お勉強はできるけれども、
融通が利かず、
好奇心旺盛であっちふらふらこっちふらふら、
若いのに、勉強ができるものだから、
なんとなく老成していて、
この感じ、
いるかいないかいないかいるかと
目を宙に泳がせていたら、
えなりかずきが突如目の前に現れた。
以来、
物語の中をえなりかずきが徘徊し、
はらってもはらってもえなりかずきが拭えません。
夕霧かずきとよびたくなる所以です。

・あの娘から愛の告白萬愚節  野衾

元祖スギちゃん!?

 

・いにしへにまねぶ鶯ほーほけきょ

朝日放送「パネルクイズ アタック25」や
NHK・BSⅡ「週刊ブックレビュー」の
名司会者としても有名だった児玉清さんは、
2011年5月16日にお亡くなりになりました。
春風社ではこれまで二度、
装丁の賞をいただいていますが、
そのプレゼンテーターが児玉さんで、
わたしは児玉さんから直接賞状を受け取りました。
テレビで見るとおり背が高く、
颯爽としてほんとカッコよかった。
児玉さんの遺稿集『すべては今日から』(新潮社)を読んでいたら、
え!?
児玉さんて、こういう言い回しをする人なの、
と目を瞠る箇所が何度もでてきます。
たとえば、
「悪者を描いてジェフリー・ディーヴァーと肩を並べる異色知性作家に心底敬意の乾杯をしたのだ。俺はふるえたぜ。」
「マイケルとともに苦難を乗り切ろうとこちらも懸命になり、最後には、彼女の明晰な頭脳と勇気ある心と強靭な身体に、ぞっこん惚れてしまったのだ。とても逢いたくなったぜ。」
「まったりとした女性の深情けか、蠱惑の赤ワインにとろけるような酔い心地といったミステリーだぜ。」
こんな具合。
児玉さんのモノマネをする博多華丸を見て笑う笑いに近いものを感じ、
「だぜ」がでてくるたびに笑ってしまいます。
あと、
児玉さんがよくつかう言い方で、
「ジェットコースター・ライドに乗ったような」もあります。
ツンドラ地帯の上を飛ぶ機内で読んだミステリー小説は、
「身も凍る」だったり。
比喩がわかりやすい!
アタックチャ~ンス!!って感じで、
やっぱり児玉さん好きだなぁ。
ご冥福をお祈りします。

・二百円上げても混雑床屋かな  野衾

季節の花

 

・はらほろとさくらはらほろ金貨かな

この日記の下に写真を一枚掲載していますが、
このごろは花の写真が多くなりました。
今は桜ですが、
街を歩きながらしょっちゅう立ち止まります。
先日亜細亜大学を訪ねた折、
打ち合わせが終ったあとで、
M先生がスタジオジブリを見に連れて行ってくれました。
大学から歩いて数分のところにありました。
ジブリがあっておかしくない、
むしろ相応しい田園風景が広がっています。
散歩にはもってこいです。
M先生は、
家から自転車で大学へ通っておられますが、
朝は朝で五時半に起き、
毎日散歩されるのだとか。
M先生の案内で歩いていたとき、
小さな公園の横に桜の木が数本ありました。
大きい桜の木もいいですが、
小さい木も悪くありません。
「先生、ちょっと待ってください」
鞄をがさごそさせ携帯電話を取り出してパチリ。
「小ぶりな桜もいいですね」と先生。
きのうの写真がそれです。
今日も花の写真です。

・まちがへて汗ぐつしよりの帰宅かな  野衾

写真のリアリティ

 

・六本木春は名のみの寒さかな

六本木のZen Foto Galleryで開催されている
「瞽女 Goze 橋本照嵩写真展」に行ってきました。
四十年ぶりの新プリントによる写真展です。
展示販売もしており、
フレーム付き四万二千円の写真が十五枚、
売約済みになっていました。
ギャラリーに流れる瞽女唄の調べに身を任せながら、
一点一点ゆっくり見ていきます。
はやく見てはいけません。
ゆっくりゆっくり。
繰り返し繰り返し。
瞽女唄と響きあい、
写真に撮られた瞽女さんたちの哄笑が聴こえてくるようです。
閉店間近、
カップルの外国人が入ってき、
橋本さんに日本語で質問していました。
ほぼ四十年前に撮られた写真なのに、
それほど昔のことではないのに、
今の日本とずいぶん違うことに驚いたようです。
高度経済成長が叫ばれている時代に、
目の見えない瞽女さんたちがひっそりと
東北の村村を訪ね
弾き語りをした音と姿が、
「くさい」臭いとなって迫ってきます。
橋本さんが『瞽女』で日本写真協会新人賞を受賞したとき、
「臭ってくる」「電話帳」のような写真集と
木村伊兵衛が絶賛した
その「臭い」が、
震災後の日本の空を晴らしてくれるようです。
*
拙著『マハーヴァギナまたは巫山(ふざん)の夢』の書評が、
今週号の「週刊読書人」に掲載されました。
有り難し!
書評してくださったのは、
東京大学准教授・英米文学専攻の阿部公彦氏。
コチラです。

・はらはらと鞄のなかへ桜かな  野衾

大安

 

・黒黒と幹太くして桜かな

今日は大安です。
大安とは、
万事において事をなすのによいとされる日。
大安吉日。
以前わたしが勤めていた東京の出版社では、
本の奥付に記載する刊行日を
大安の日付にするのが慣例でした。
そのことを教えられていたはずなのに、
忘れたのか、
軽くみていたのか、
大安の日でない日にちのまま、
版下を印刷所に渡したことがありました。
出来上がってきた本を開いて見た社長が
奥付のページを凝視すること二、三秒、
やがてこっぴどく叱られ、
やり直しを命じられました。
大安の文字を目にすると、
それをなつかしく思い出します。
春風社では、
他の社員には指示していませんので分かりませんが、
わたし自身は、
気分によって、
大安にしたりしなかったり。
大安にしなかったから本が売れなかったり、
誤植の多い本が出来てしまった、
などということは今のところないようです。
今は基本的に、
大安仏滅関係なく
本が売れない時代です。

・道道の畠途切れて桜かな  野衾

声

 

・きのふ七分けふ満開の桜かな

週に一度、
気が向いたら二度、三度、
秋田の実家へ電話します。
用のあるときもあれば、
用のないときもあります。
用のないときのほうが多いかもしれません。
きのうは、
とくに用はなかったのですが、
夕刻、
保土ヶ谷駅から御殿山へ歩く道道
電話をかけました。
とっくに夕飯を終えた母は寝床で電話に出、
父は風呂に入っていました。
「いっちに、まま食たてがは? はえな!」
「あや。よごなて、テレビ見でだもの」
母の声は、
しめっておらず、
ということは、
腰の痛みはそれほどひどくないのかと思いました。
声の質を聴くために電話をします。
だから、とくに用はなくていいのです。
めりはりや声の弾み具合を聴くと、
医者でなくてもおおよその体調は分かります。
母も、
わたしの声をそういう風に聴くのでしょう。

・薄曇りそこここ煙る桜かな  野衾

ひとり愉しむ

 

・花曇り日曜の部屋文を読む

本を読むたのしさはいろいろですが、
ずばり一番は、
読みながら、
読んでいる場面を想像したり、
登場人物のこころの動きを思い浮かべたり、
また、
だれに教わるでもなく、
へ~、
こんなことが書いてあったのかと気がつく、
そういうところではないでしょうか。
この場合、
情報を得るための本ではありません。
ひとり愉しむ。
たのしんだあとで、
人に少々、
ときどき大げさに自慢したり、
余裕をかまして
自慢のこころを抑え、
いま流行りの
ソーシャルリーディングに参加することも
たのしくないことはありませんが、
人と話すと
どうしてもこころがざわつき、
みずからを誇りたい気持ちがもたげてきます。
だから、
しゃべらないのが一番かもしれません。
でも、
ついついしゃべってしまいます。

・花粉飛ぶ外眺めつつラスク食ぶ  野衾