「うら」をよむ

 

・マンションのチラシに夢はセレブリティ

源氏物語を読んでいたら、
「うら」に頭注があり「心のこと」と説明書きがありました。
「うら」というと、
まず思い浮かべるのは「裏」。
心と書いて「うら」と読ませるのは特殊な使い方かと思い、
古語辞典を引いてみたら、
ちゃんと載っていました。
載っているだけでなく、
赤鉛筆で太くしるしが付けられていました。
高校に入ってすぐに買った辞書で、
授業で先生から教わったかして、
これは大事と思ってしるしを付けたのでしょう。
すっかり忘れていました。
それはともかく。
心と書いて「うら」。
いまは「心」だけでは「うら」と読みませんが、
「うら悲しい」や「うら寂しい」はそのなごりではないでしょうか。
飛躍して、
「うらぶれる」や「うらやむ」の「うら」を
「心」との関連で考えることも楽しい。
もっと言えば。
心と書いて「うら」。「うら」に心がある。
だから日本人は「おもて」でなく「うら」を
よむ、よみたがるのでしょう。
また、
うらをみがくことは心をみがくこと。
表をみがくなんてあたりまえ体操。
うらをみがいてこそ、なんぼ。
寅さんの裏地の模様が飾ってあったじゃないですか。
それが粋(いき)ってものだよ。ねぇ。

・おごそかに新人客にお茶を出し  野衾

胡椒

 

・入学の後のランチはハンバーグ

昼、イシバシと食事へ。
いつものことながら、
何を食べるかと決めずに出て、さてと。
足の向くまま気の向くまま。
きのうは左へ歩いたので、きょうは右。
天気もいいし。
ねかちもマンションのグランドメゾンの縁を半周、
本町小学校横の階段を下り、ラクレットへ。
ちょうど入学式の日で、
学校の前の道が混んでいます。
ラクレットも人でいっぱい。
ダメだきょうは。
ならば。
ココイチのカレーに向かっててくてくと。
後ろから呼び止められました。
見れば、
ラクレットのお嬢さん。妹さんのほう。
姉妹で交替で店を手伝っているのです。
店に入ると、
テーブルが分けられており、
狭いながら、
向かい合わせで二人座れる席を作ってくれていました。
イシバシ、ハンバーグ定食。
わたし、ビッグハンバーグ定食。だはははは…。
自家製の麦茶で喉を潤していたら、
となりの四人家族のテーブルに、
ハンバーグ定食が四つ運ばれてきました。
どれも同じサイズ。
父も母もおにいちゃんも、
きょう緊張して入学式を終えたであろう弟もハンバーグ定食。
わたしは、
五十五年生きてきて、
父と母と弟と四人で
ハンバーグ定食を食したことがありません。
なんて。
まあ、いいですけど。
そんなことを思ったりしているうちに、
こちらのテーブルにも、
ハンバーグ定食とビッグハンバーグ定食が運ばれてきました。
鉄板の上で、
ビッグハンバーグがジュージュー言っています。
イシバシに目で合図しました、胡椒と。
イシバシ、目が、・ ・
と、
気づくはずのない隣りの女性が、
わたしの右隣りにいて絶対に気づくことなどあり得ない彼女、
入学式を終え
家族四人でハンバーグ定食を
静かに喜びを噛みしめながら食べていたであろうその母が、
自分のテーブルから
サッとペッパーミルを渡してくれました。
「あ、ありがとうございます」
そのやり取りを見ていたイシバシ「よく分かりましたね」
「胡椒が好きなものですから」と美しい母。
胡椒が好きなものですから…。
それはそうかもしれませんが、
おそらく、
ハンバーグ定食が運ばれてきて、
すぐに手をつけないわたしを、
その短い独特の間を感じとり、
それで胡椒が欲しいのかと気づいたのでしょう。
おそるべし母!
子を持つ、
しかも小さい子を持つ母なればこその感覚なのでしょう。
グリグリグリとたっぷり胡椒を挽き、
それから隣りへペッパーミルを返しました。

・母があり父あり子あり入学式  野衾

テロかと思えば

 

・葉桜や社に拝む女あり

「えええっ! ほんとおお!?」
若女将が上ずった声でお客さんと話しています。
いつもにこにこ物やわらかく、
穏やかな彼女の
そんな声を聴いたのは初めてです。
ちょっと黄色い声も混じっているような。
テロか?
野毛でテロ!?
パチンコ屋が襲われたとか、
横浜にぎわい座に爆弾が仕掛けられたとか、
そんなこと?
お客さんから離れ、
厨房へ戻る若女将に声をかけました。
「なにかあったんですか?」
「ちぐさにしょうくんが来ていたんですって」
「ちぐさって、そこの?」
「ええ。ジャズ喫茶のちぐさ。会いたかったわ」
「しょうくん?」
「嵐の櫻井翔くん。会いたかったなぁ」
「ファンなんですか?」
「娘が嵐の大ファンで、とくに櫻井翔くんが」
「若女将もそうなんですか?」
「いえ、わたしはまつじゅん」
「ああ、なるほど。まつじゅん」
「でも、翔くんにも会いたかった」
「そうですか。えぇっと。と。いつもの裂き定と奈良漬けください」

・葉桜や風の流れを見てゐたり  野衾

本は枕?

 

・舟過ぎて川面乱れる桜かな

おとといは鍼灸の日。
「おはようございます。ちょっと早く着きまして」
「いいですよ。どうぞこちらへ」
「失礼します」
カーテンで仕切られたコーナーへ案内され、
上着と靴下を脱ぎ、
腕時計とズボンのベルトを外してベッドの上に横になります。
先生がスッと寄ってきて、
まず首に触りました。
「ここはストレスです」
両脚に十箇所ほど鍼を刺され、
しばらくそのまま。
気持ちが良くなり、つい、うとうとと。
「そちらを向いてください」
「はい」
やがて、また、うとうと。
今度は反対。
最後はうつぶせ。
あっという間の一時間でした。
お代を払い、次の予約をしてから外へ出ます。
深呼吸。
あああっ! 気持ちいいいいっ!
さてと。
本屋にでも寄っていくか。
住吉書房の二階、文庫本のコーナーへ。
岩波文庫がけっこうあります。
光文社古典新訳文庫。
中条さん訳の本だ。
高遠さん訳のプルーストはと?
角川文庫『源氏物語』か。
文庫で源氏は読めないや…。
体調が悪かったときに、
枕をいろいろ調べて、
自分に合った枕を探し、
蕎麦の実入りの枕を求め、今もつかっています。
ホテルでもこのごろは枕のサービスがあったり。
枕によって睡眠の質が左右されるように、
どの本で読むかによって読書の質が左右されます。
読めればいいわけではない。
それは、人によってもちがうでしょう。
同じ人でも、
かつて文庫で読んだのに、
いまは大型の本じゃないとダメ、
という場合もあります。
老眼のこともありますから。
本は、暇があったら読めと、新井奥邃は言いました。
暇がなければ読まなくたっていい。
それぐらいのものだから、
読むんなら、
自分に合った枕を選ぶように、
自分に合った本で本を読みたいと思います。

・子どもらがあの雲からの天気雨  野衾

痒いのか

 

・春なれば声も眠たし烏かな

『マハーバーラタとラーマーヤナ』の
下版前最終チェックのため、
亜細亜大学に行ってきました。
無事チェックが終り、
JR武蔵境駅から快速の東京行きに乗車。
三鷹駅で中央快速に乗り換え。
こちらが停車駅が少なく新宿まで早く着きます。
新宿で湘南ラインに乗り換え。
待っている時間がほとんどないのも珍しく、
順調かつ快調。
渋谷で降りる客が多く、
空いたシートに座りました。快調。
春の陽気はのたりのたりで、
鞄のなかの『ファーブル昆虫記』を取る気になれず。
ついうとうとと。
と、
目を開けるとすぐ目の前に、
学生でしょうか、
いや学生ではないでしょう、
OL風の若い小柄な女性が立っています。
微妙に体をくねらせ、
電車の振動とちがう動きをしています。
両膝を交互に緩めたり伸ばしたり。
両肩が膝に連動しているような、いないような。
ん!?
だんだん眼が覚めてきました。
ひょっとして。
いや、そんなことはないか。
でも…。
わたしは最初、
彼女が背中のどこかが痒くて動いているのかと思いました。
むず痒がっている動きそのものなのです。
『ファーブル昆虫記』にでてくる蜂の幼虫みたい。
もぞもぞもぞもぞ。
痒みはいっこうに止みません。
おかしい。
痒みがそんなに続くわけがない。
わたしは、
姿勢を正して腹の角度を鈍角にし、
彼女との距離をとり、
全身を視野に入れました。
したら、
彼女の耳にイヤホンが装着されていました。
は。
そうか。
なるほど。
痒くて動いていたわけではなかったのか。

・友もありさうざうしきは春日かな  野衾

あまり言ってると

 

・天気予報花粉多しと脅しをり

わたしはだいたい九時には寝ます。
寝る前の十五分、
NHKの「首都圏ニュース845」を見てから。
気象情報は斉田さんです。
「気象情報は斉田さんです」と言うのは、
奈実ちゃん。守本奈実さん。
今週は奈実ちゃん担当です。
久保田祐佳さんと週単位で交替しますが、
「気象情報は斉田さんとお伝えします」と言う
祐佳さんのときはあまり見ません。
奈実ちゃんは必ず「気象情報は斉田さんです」
祐佳さんは必ず「気象情報は斉田さんとお伝えします」
絶対に変えません。譲りません。
二人とも頑固です。
わたしが奈実ちゃん奈実ちゃん言うものですから、
家人も「あら、今週は奈実ちゃんなの?」
「そうだよ。奈実ちゃんだよ」
「春らしい色だね」
「うん。よく似合う」
てなことで、
なんとなく身内意識で見ています。
奈実ちゃん、学習院大学文学部卒っていうから、
中条さん知ってるかなぁ。
なんて。
こういう気持ちが高じるとストーカーになるのか?
ならないけど。

・奈実ちゃんと斉田さん見て今日も寝る  野衾

おならは

 

・おシャレより長靴バシャバシャ春の雨

高峰秀子の『私の梅原龍三郎』を読んでいたら、
「おならを落とす」ということばがでてきて、
そういう言い方もあるのかと
初めて知りました。
とてもオシャレだった梅原龍三郎の
晩年のエピソードだったと思います。
放屁を「屁をひる」「屁をこく」と言うのはあたりまえですが、
信愛し敬愛する梅原龍三郎との思い出を彫琢するのに、
「屁」も「ひる」も「こく」も、
相応しくなかったのでしょう。
「おならを落とす」という言い方が
初めてだったこともありますが、
その言い方に、
高峰さんの微妙な優しさがこめられているようで、
印象ぶかく読みました。

・云ふほどに優しくもなし春の雨  野衾