汗った?!

 

・昼秋刀魚而して夜の秋刀魚かな

むかし『老人力』という本がありまして、
書いたのは赤瀬川原平さん。
年とることを悲観的に考えず、
むしろプラス思考でとらえることによって、
みたいな。
かなり話題になり、
面白そうだし、
赤瀬川原平さん嫌いじゃないし、
買って読んでもよかったのですが、
立ち読みぐらいはしたかもしれませんけれど、
結局買わずにそれっきり。
なんでこんなことを言っているかといえば、
我が身のことから、
急に、
赤瀬川さんの本と
「老人力」という造語を思い出したからです。
前置きが長くなりました。
下の写真をご覧ください。
こういうものが台所に置かれてありました。
家人が購入したのでしょう。
早朝、
寝ぼけ眼で台所の灯りをつけたとき、
これが目につき、
ほんの一瞬ではありましたが、
「汁」が「汗」に見えた!
冷や汗の素?!
まさに冷や汗。
すぐに勘違いに気づき眼が覚めました。
「汁」と「汗」では
横棒一本だけの違いですから、
夢うつつ状態では、
あえなく飛んでしまいます。
ところで一本といえば、
『わら一本の革命』という本がありました。
関係ありませんけど。

・秋澄むやこころは遥か山頭火  野衾

相手の身になる

 

・けふよりは十六年目の秋晴るる

先日、ある方から、
教養とはなんですか? と訊かれました。
わたしが持っている大辞林第二版によれば、
①おしえそだてること。
②社会人として必要な広い文化的な知識。
また、それによって養われた品位。
③単なる知識ではなく、
人間がその素質を精神的・全人的に開化・発展させる
学び養われる学問や芸術など。
さて、質問された折、
辞書を持っていれば以上のように答えられたわけですが、
わたしのは机上版でやたら重く、
持ち歩くのにはとても不便。
ていうか重さに関係なく、
わたしはふだん辞書を持ち歩きません。
電子辞書という手もありますが、
今のところ持っておらず。
というわけで、
先の質問「教養とはなんですか?」
に対してわたしはとっさに、
「相手の立場に立てる、相手の身になれることではないでしょうか」
と答えました。
答えたとき、
脳裏には死んだ祖母のことがありました。
わたしの人づきあい、
考え方の根本は祖母でありまして、
その祖母は学校というものを知りません。
義務教育制度は布かれていたはずなのに、
貧しかったせなのか何なのか、
小学校にすら通っていません。
ところが、
祖母はけして他人の悪口を言わなかった。
葬儀のときに何人もの人が
そう話しているのを耳にしました。
わたしも実際、
祖母が人の悪口を言っているのを
聞いたことがありません。
そのことがずっと、
今も胸にあり、
学校に行かなかった祖母がそれができたのは、
相手に共感し、
相手の身になる手たでを、
学校の勉強によらずして鍛えたからではなかったか、
とも思います。
わたしは、
祖母はそもそも、
生まれが上等だったのではないかと思っています。
上等でない人間は、
相手の立場に立ち、相手の身になり、
無教養ガスアダマ馬鹿野郎ウスラトンカチ金壺マナグを廃し、
もう一つの眼を持つために、
ひたすら勉強しなければなりません。
日用常行を通じ
己を客観視し驕り高ぶらず、
少しでも先人に近づき、
他者と深くつながる道につきたいものです。

・秋日和五月蝿き烏あつち行け  野衾

創業十五周年

 

・怒り開く天の裂け目に光りあれ

正確に言いますと、
本日が弊社創業十五周年になります。
明日からは十六年目。
さて今月は二週続きで周年行事がありました。
20日のトークショー、
27日のパーティ。
いろいろ感じ考え、
なかなか言葉にならず
出来ず、
詩の大鍋に浮いてくる言葉をすくい
「峠」を記すぐらいが関の山。
このページを読んでくださっている方の多くは、
行事へもご参加くださったのではないか
と想像され、
皆さんの感想にお任せしようと
甘えごころでおりましたら、
映画作家、監督の大嶋拓さんが、
ご自身のブログに写真つきで、
こころのこもった
すばらしい文章を書いてくださいました。
これ以上のまとめはありません。
有り難いことです。
スクロールし(1)(2)の順でお読みいただければ幸い。
コチラ。
*
十五周年企画としてすすめてまいりました
橋本照嵩さんの畢生の写真集
『石巻 2011.3.27~2014.5.29』
の紹介記事が神奈川新聞に掲載されました。
コチラも、
こころのこもった
すばらしい文章です。
柏尾安希子さんが書いてくださいました。
あの取材の折の
橋本さんの語りの深さ、
内容と口調、
隣りで聞いていて震えました。
*
最後に。
パーティの際、
下の写真のかんざしをお忘れになった方、
もしこのページをご覧になりましたら、
ご一報いただけますか?

・忘の涯天機に泳ぐ魚かな  野衾

峠

 

・鎌倉や枯れ松二本秋の風

霧の立ち込める道を歩いている
どこへ向かうのか
集中を欠くと
忘れてしまいそうなのだ
悲しさは何処よりかやつてきて
汚れてなどいない
けれど
それはそうなのだが…
手つかずの
楽しさ のあとの
呆けのとき
豊穣 に揺蕩う

宇宙にはまだだれもおらず
さて なにを
しようというのか なにを
さがそうとするのか
プチプチと鳴るのは 何?

観音崎公園の詩碑に刻まれた西脇順三郎の詩が気になるから
いつか行つてみたいと思つていたのだが
けふ吐く息と吸う息をじつと聞いているうちに
行つてみたくなつた

ここよりつづく
有為転変の道 浅き夢の名残り
ブルー ブルー
ブルーム ブルマー ブルーミー
さつきから木々の葉が白く揺れている

・天高しグラウンドより女子の声  野衾

人生の教科書

 

・ホヤ食ふて甘さ苦さや石巻

専務イシバシがキャッキャ喜び勇んでやってきます。
「ん! どうしたの?」
「わたしの本が大学の教科書に採用されました!」
「はあ!?」
「そうなんです。『人生の請求書』がっ」
「へ~へ~へ~! 3へ~だねこりゃ」
「でしょ!」
ということでイシバシ、
もし逆立ちが出来たら
逆立ちして社内を歩き回りたいぐらいの
嬉しい様子。
教科書採用してくださったのは、
『カフェの女主人』『リヴァ・ベラ』『ショートカットの女たち』
の翻訳書を弊社から上梓している桑原隆行先生。
フランス文学がご専門。
どの講座でお使いになるのか分かりませんが、
今の若いひと(ああ、おれもいつやらこう呼ぶよ)
のありようを考えれば、
さもありなんと頷かれる。
明日の弊社十五周年パーティには、
ケータリングサービスを業とする
山手サービスさんが加わってくれることになっていますが、
数名のコンパニオンの方は齢三十代だとか。
二十代ではまだちょっと、
と会長のお話にありました。
本を読むことは、
出版社ですし
ありがたいですが、
こころ配り、気遣い、挨拶など
人付き合いもまた大事。
ということで以上、
この度めでたく苦労人イシバシの請求書が
大学の教科書になった顛末でありました。
*
先週二十日、東京堂書店で行われた対談につき、
秋田魁新報に記事が掲載されました。
コチラです。

・何処へと白く招きし薄かな  野衾

好きになると

 

・五十過ぎ腹が旨しの秋刀魚かな

新しい仕事の打ち合わせに埼玉県越谷まで。
ご専門は別にあるのですが、
お目にかかった先生は、
昆虫、
とくに蝶々の収集において
おそらく日本で
五指に入るほどのコレクター。
大切に保管された標本を見せていただきました。
いやはやなんとも。
まずその色の美しさに息を呑みました。
どんなに技術が向上しても、
印刷では絶対に出ない出せない色。
その印象を告げるや、
死んだ時点で色は褪せるのだとか。
生きているときは
もっと美しい…。
昆虫標本の商人が世界中にいるらしく、
しのぎを削って世界に目をやり
世界を走り回る。
なんでもそうかもしれませんが、
人間ほんとうに好きになると、
何をしでかすか分からない。
好きを極めて数奇な運命を辿ることにもなりかねない。
漱石の「こころ」に彼の有名な
「恋は罪悪ですよ」のセリフがあるけれど、
恋は罪かもしれませんが、
罪は恋だけとはかぎりません。
どきどきしながら
先生の話を拝聴し、
研究室のある建物から出るや
外は既に真っ暗。
小雨まで舞い落ちて。
好き、好き、
好きになると。
いろんな罪を犯してきました。

・蕭条と卓に色添ふ青蜜柑  野衾

三冊三人

 

・秋澄むや本の中より現れり

観音崎公園にあるという西脇順三郎の詩碑を見に、
小旅行を計画していたのですが、
からだが少々バテ気味なので、
大事をとり
またの機会の楽しみにとっておくことに。
時間が浮いたので
ゆっくり本が読めました。
吉岡実『「死児」という絵〔増補版〕』(筑摩書房)
飯島耕一『浦伝い 詩型を旅する』(思潮社)
新倉俊一『詩人たちの世紀 西脇順三郎とエズラ・パウンド』(みすず書房)
これでみても、
まぁこのごろは詩と詩論が多くなりました。
三冊三様ですけれども、
飯島さんのは詩集でもありますし、
文体もそれぞれ異なりますが、
共通して言えるのは、
書き手それぞれの背中が見えないこと。
見えることでなしに
見えないことの共通性。
頭の使い方が似ているせいではないかと思われます。
頭も体の一部ということで、
バランスをはかり、
頭を働かせすぎないように注意する、
ゆっくり愉しんで書く、
そのようにして書かれた三冊であると感じます。
月の裏側が見えないように、
人の背中も見えません。
自分のものだけでなく誰のものでも。
押されたことを感じるだけです。

・ふるさとの色を集めて青蜜柑  野衾