自虐ネタ

 

・朝ぼらけ五月のけふの始めなり

秋田魁新報に「きょうの言葉」というコラムがあります。
金言のような短いことばを取り上げ、
識者が解説を加えるというコーナーですが、
今月十九日付けの紙面に、
ソフトバンク創業者孫正義の言葉として、
「髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのである。」
が取り上げられていました。
ことば自体は、
クスッと笑える類のものですが、
このコーナーに取り上げられると、
格段に面白くなる。
だって
「きょうの言葉」というからには、
なんというか、
人生というか、
重い荷物を背負って坂道というか、
人間てぇものは、
みたいな、
ありがたい御ことばを期待するわけです。
そこへもってきて
上のことばなんですもの。
髪の毛の話なのに、
人生の教訓を含んでいるようで、
しかもなんだか語調が立派。
「~のではない。~のである」と。
このことばを取り上げたのは、
小説家の阿川大樹。
名前がまた立派。
大樹。
この樹なんの樹、大きな樹、てか。
このコーナーにふさわしい。
解説の後半、
「オフィスで、家庭で、居酒屋で、髪の量が話題になったとき、
「髪が後退しているんじゃなくて、僕が前進してるんだ」
という人が続出したら……と想像してみたら、思わずニンマリとしてしまう。
そうなれば、広い額が世の中を照らす時代がやってくるはずだ。」
アハハハハ…。
来ない来ない。
そんな時代、来るはずない。
教訓めかして言っているところがなんとも可笑しい。
ところで。
わたしの場合はどうか。
後退も前進もしない。
なぜならば、
わたしの頭はだいたい更地だから。
アハハハハ…。

・道草を愛でて時追ふ五月かな  野衾

党首討論

 

・梅雨前の日いつくしみ吸ひにけり

民主党の岡田代表と安倍首相のやりとりの
全部を見ていたわけでなく、
一部を
テレビのニュースで見ましたが、
岡田代表の分かりやすい言葉にくらべると、
首相のことばは
言葉数は多いけれど、
何を言っているのか分かりにくく、
質問に対し、
ふつうの意味で
答えになっていないだろうと感じることしきり。
芸といえばひとつの芸。
目の前で
質問を突きつけられているのに、
そのことに答えるような
姿勢はとっているけれど、
微妙に論点をずらし
立て板に水のごとく、
いかにも
誠意をもって答えている
かのようなポーズを見るにつけ、
今に始まったことではないけれど、
改めて、
この人の言語感覚を疑いました。
ますますひどくなっているようです。
大学に勤めているある先生が、
やがて自由にモノが言えなくなる時代が来る、
とおっしゃっていましたが、
安倍首相の
本心を隠すためとしか思えない
ゴテゴテした
無駄なおしゃべりを聞くにつけ、
空恐ろしくなりました。

・珈琲香きのふの朝の在りどころ  野衾

月下の一群

 

・卯の花や匂はなけれどにほひたつ

歴史に名を残す訳詩集『月下の一群』
訳したのは、堀口大學。
フランスの近代詩人六六人三四〇篇の詩が収録されています。

私の耳は貝のから
海の響をなつかしむ   (ジャン・コクトオ「耳」)

などは、
すぐに憶えられるし楽しいし。
キザっていえばキザだけど。
でも、
なんだかいいじゃない。

かと思えば、

退屈な女より
もつと哀れなのは
かなしい女です。   (マリイ・ロオランサン「鎮静剤」より)

からはじまって
「もつと哀れなのは」がいくつもつづいて行くのですが、
最後の決めぜりふ(!?)
がふるっています。

死んだ女より
もつと哀れなのは
忘られた女です。   (マリイ・ロオランサン「鎮静剤」より)

電車の中で読んでいて、
プッとふきだしてしまいました。

・南より梅雨宣言の旗が立つ  野衾

かもめの街

 

・色すべて新しくなる五月かな

ちあきなおみに「かもめの街」
という名曲がありますが、
きのうテレビを点けたら、
北原ミレイがそれを歌っていました。
彼女の「石狩挽歌」は
好きな歌の一つで、
昔カラオケでたまに歌ったりしていましたっけ。
さてその北原歌うところの「かもめの街」でありますが、
カバー曲として、
自身のアルバムに収録しているぐらいですから、
ちあきとはまた一味も二味もちがう、
北原ミレイの世界になっていました。
でも、
いかんせん、
彼女の声は硬い。
あらためて、
ちあきなおみの歌の凄みが分かりました。
*
橋本照嵩『石巻かほく』紙上写真展
の十四回目が掲載されました。
コチラです。

・猫来たり固まりてのち去りにけり  野衾

日常愛

 

・息吐いて雲眺めやる五月かな

田植えが終了したと父から電話。
稲の苗を育てるためのビニールハウスもすべて解体したと。
毎年のことながら、
収穫を願い予祝する気持ちが伝わってきます。
父がずっと続けている日記は、
この時期もっとも役に立つようです。
稲の苗は、
温度と湿度の管理が大変で、
天気をにらみながら、
ハウスのビニールを開けたり閉じたり。
日に何度となく繰り返す作業を見、
子を育てるのと同じだなと思わされます。
それ以上かもしれません。
今月三日に亡くなった詩人・長田弘さんが、
『全詩集』巻末の「場所と記憶」に、
パトリオティズムというと、
ふつう愛国心と訳されるけれど、
それは適切でなく、
日常愛が正しいのだ
と記していたのを思い出しました。
九十八歳で亡くなった祖父が
最後に見たかったもの、
それは稲の苗が植えられた田んぼだったことも。

・靴直し新しき歩の五月かな  野衾

コロッケ

 

・光もて皮をむきたる若葉かな

ものまねのコロッケさんがテレビにでていました。
ものまねする人は多くいますが、
わたしはコロッケさんの、
あのデフォルメしたものまねが好きなのです。
編集者のインタビューに答え
いろいろ語っていましたが、
小さい頃から
よき母に育てられて
グレもせず、
あせるな、おこるな、いばるな、くさるな、まけるな、
をモットーにやってきたのだとか。
それを教えてくれたのも
お母さんだそうで。
語頭をつなぐと「あおいくま」
なるほど。
おぼえやすい。
東京に出てきたとき、
所ジョージの前でものまねをすると、
所さん、
「うまいけど、面白くないね」
そう言ったときの所さんをものまねでやって見せ。
それが所さんにそっくりで。
その後、
地元熊本の、あるステージに立ち、
レコードの歌に合わせものまねをしたとき、
スタッフの間違いで
レコードの回転数が速くなり、
動きもその分テケテケと速まった。
笑いがドッと来て。
面白かったのかなと思ったそうです。
ひとつの開眼だったのでしょう。
番組の最後、
色紙にひとことと言われ
書いた言葉が、
「貶されて感謝 誉められて懺悔」
東日本大震災の折に
すぐ現地に駆けつけた話も印象深く。
ますますコロッケさんが好きになりました。

・遠き富士煙突にゅっと五月かな  野衾

五月

 

・木々揺れて悲喜とどまりし五月かな

いい季節です。
木々に若葉が萌えだし、
歩いていてもそれと分かりますから、
つやつや光る葉に見とれ深呼吸することしばし。
古来日本人は、
五月を味わい愛で、
ああ、いい季節だなやぁ、
あああ、
などと感慨に耽ってきたのでしょう。
この季節、
ツツジが咲き、
サツキが咲き。
サツキは漢字だと五月(皐月)。
そう表記されたことで、
旧暦の事ではありますが、
サツキは五月を代表する花になりました。
それにしても、
かわいそうなのは、
ハエ。
五月の鷹なら
寺山さんにも詠まれて、
ますますかっこよくなったけれど、
五月のハエは
五月蝿と書いて「うるさい」ですから。
いい季節だと人間が勝手に思い、
勝手に
いい気分に浸っているときに、
我れ関せずとばかりに、
ブ~~~ン
と飛んできては
一気に興を殺いでしまう蝿。
そんなところからの命名なのでしょう。
この季節、
主に秋田でのことですが、
「こんちくしょう!」と声を出し、
無駄な殺生を繰り返してまいりました。
ナンマイダナンマイダ。

・うるさいと名指され自棄の五月蝿  野衾